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2024年08月01日

アクセル・グレル氏の新たな挑戦「Grell OAE1」レビューというか考察

DROP+Grell 「OAE1」はかつてゼンハイザーの顔としてヘッドフォン祭にも来日していたアクセル・グレル氏が、ゼンハイザーを退社してから個人ブランドとして開発したヘッドフォンです。

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アクセル・グレル氏は1991年からゼンハイザーに在籍してゼンハイザーの歴史に残るフラッグシップ機であるHD600、HD650、HD800などを手掛けた開発者として知られています。ゼンハイザーの中心人物ともいうべきアクセル・グレル氏は、ゼンハイザーのヘッドホン部門がソノヴァに買収される前にゼンハイザーを離れて自らの名を冠したGrell Audioを立ち上げています。
アクセル・グレル氏が自分の理念を込めて開発したヘッドホンがGrell OAE1と言えます。OAE1の販売は海外の通販サイトで自社開発も行うことで知られているDropが担当しています。そのため名称はDROP+Grell 「OAE1」となっています。価格は先行版が$349くらいとそう高くはありません。

こちらホームページです。
Grell OAE1
https://grellaudio.com/products.html

Drop販売ページ
https://drop.com/buy/drop-grell-oae1-signature-headphones

OAE1の特徴はアクセル・グレル氏が取り組んでいる「ヘッドフォンの外形デザインと音質」というテーマを文字通り形にしたことです。それについては「多くのリスナーはヘッドフォンの周波数特性を測定するが、実際に知覚される音はヘッドフォンのジオメトリ(形状や大きさ)とアコースティックインピーダンスに大きく左右される。これはイヤカップの中の音場の形と方向性が空間再現に重要だからだ」とCanJamで開催されたセミナーの概要に書いています。

OAE1ドライバー.png
OAE1ドライバー配置(ホームページから)

それを実現するためにOAE1ではイヤカップの中でドライバー配置を耳の前方に位置させた独特の配置がなされています。それを可能な限り開放されたイヤカップデザイン、および低域を出すためのディフューザーと組み合わせています。振動板は40mmのバイオセルロースのダイナミックドライバーを採用、振動板は外縁部(エッジ)を有していて、ボイスコイルの作り出す定在波を吸収する仕組みになっているとのこと。

グレル氏の考える振動板の配置の進化は、Headfiのインタビューで見せたグレル氏のジェスチャーからわかります。

従来のヘッドホンのドライバーの位置_動画から.png HD800のドライバーの位置_動画から.png OAE1でのドライバーの位置_動画から.png
左から従来のヘッドフォンのドライバー配置、HD800でのドライバー配置、OAE1での配置

ドライバー.png
これはホームページの動画から、実際のドライバーを頭に当てたところです。

ちなみにS-Logicでのドライバーも傾いていますが、OAE1ほど前方にあるわけではありません。
スクリーンショット 2024-07-30 13.25.21.png
Edition 15のS-Logicドライバー


ヘッドフォンとしての特性は仕様から抜き出すと周波数特性が12 - 32,000 Hz (-3 dB)、6 - 44,000 Hz (-10 dB)、インピーダンスは38Ω、能率は106 dB (1 kHz, 1 VRMS)です。
ホームページの音の特性のところに"front oriented loudness diffuse field equalization"とありますが、これはOAE1がリスナーに音が前方から来るように感じさせると同時に、拡散音場(音があらゆる方向から均一に到来する音場)に基づく自然な音のバランスを保つように音が調整されているという意味です。

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実際に購入した方から借りて試してみました。

イヤパッドもヘッドパッドも価格的にはそこそこ悪くはなく、ハウジングもかなりがっちりとした剛性ある作りです。側圧は強めで、クランプでがっちり固定される感じです。イヤカップも小さめで調整してもほんとに頭にぴったりはまり余裕が少ないのですが、これはOAE1の設計がドライバーの位置に依存しているので装着位置が大事だからと思います。
サイズはHD800よりだいぶ小さく、OAE1の後にHD800を装着するとかなりゆるゆるに感じられます。

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HD800とOAE1

ケーブルは2.5mmのTRRS(4極)端子を用いてヘッドフォン側と接続し、3.5mm(6.35mmアダプタ)と4.4mmバランスのケーブルが2本付属しています。少し特徴的なのですが、3.5mmケーブルは両側出しで、4.4mmケーブルは片側出しです。ヘッドフォン側端子は両側についていますが、どちらも問題なく使用できます。つまり両方挿しても片方だけ挿しても機能します。
このケーブルについてのHeadFiのGrell氏のコメントを引用します。
"OAE1には4極の2.5mmソケットが左右に付いています。どちらも左右のバランス信号の入力として機能します。ソケットは4極オーバーヘッドケーブルで接続します。片側4極ケーブルは、左側または右側に差し込むことができます。両側2極ケーブルを使用する場合は、信号がオーバーヘッドケーブルを経由して余分な経路を通らないようにするため、右側のプラグ(赤い絶縁リング)を右側のソケットに、左側のプラグを左側のソケットに差し込みます。片出しケーブルを使用する場合は、右手を使う場合は左のソケットに、左手を使う場合は右のソケットに差し込むことをお勧めします"

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もともとプロのモニターが左片だしなのは仕事をするため右手に邪魔にならないようにするためだそうですが、やはりプロ畑のGrell氏なのでその辺も考慮しているように思います。またヘッドフォン側ケーブルは奥まで深く挿入する必要があります。
個人的には4.4mmの方が音が良く、主に左片だしで使用しました。

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4.4mm方出し

能率が低めなのでヘッドフォンアンプを使ったほうが良いと思います。比較用にHD800初代を用意しました。

OAE1の音は、はじめに少し違和感を感じますが、音場感が独特で音楽が浮遊しているようなちょっと不思議な感覚があります。音場に奥行き感がある感じですね。S-Logicに似ているかというとそうかもしれませんが、S-Logicよりも音の奥行きがあるように思います。曲に離れたところでビンが割れるような効果音が入っているとちょっとハッとするくらいのリアルさで少し離れたところに感じられます。
通常のヘッドフォンに比べると音が真ん中に集まって、前方定位のように聞こえますが、距離が頭外に出るというわけではないように思えます。つまりスピーカーの方から聞こえてくるのではなく、通常のヘッドフォンよりも前方に音が集まっています。
音が前方にあるというよりも、感じるのは音場の奥行き感です。通常のヘッドフォンでは左右のカップ方向の線上に散っていた音が、前よりの奥行きのある音場に集まった感じです。サントラ的な雄大な音楽とか、音が空間に散らばるような音楽を聴くとわかります。ヘッドフォンをHD800に変えて同じ曲を聴くと音が平面的に感じられます。

音質自体はHeadFiの初期試聴コメントでは高域が強すぎるというコメントが多かったのですが、帯域バランス的には低音がやや強めの普通のヘッドフォンの音として感じられます。帯域バランス的に似ているのはHD800ではなくHD650ですね。フラットなHD800よりも低域は聴覚的に出ていると感じられます。ただ楽器音の着色感の少なさはHD800に近いと思います。
楽器音や解像力・歪み感自体はハイエンドというわけにはいかないと思うけれども、価格的に考えると悪くはないです。

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音が特徴的なので、はじめ少し違和感を感じるところもありますが、聴いているとなれます。これはfinalのZE8000に近い感覚があるかもしれません。
HeadFiにもOAE1の音に違和感を覚えるというユーザーもいますが、それに対してGrell氏は次のように述べています。
“生演奏やリスニングルームでフルレンジスピーカー(14Hzから22,000Hzの3dBカットオフ周波数)を使ったリスニングの経験が豊富な人なら、OAE1を理解する(好きになる)のは簡単だと思います。ヘッドフォンのみのリスニング経験が豊富な人には、OAE1は最初は少し馴染みにくいかもしれません。しかし、私たちの内部のDSP(脳)はとても柔軟です”

位相遅延のような少し曇る感覚があるというユーザーもいるのですが、これはその通りです。この問題についてGrell氏は次のように答えています。
“(なぜ遅延が生じるかというと)OAE1の場合には外耳道入口での位相応答が、音源が頭に対して90°(270°)の角度ではなく、頭の前方0°から60°(300°)の角度のものだからです。
このような角度から音波がやってくると、低い周波数が直接外耳道入口に届きます。なぜかというと周波数が高くなるにつれて音波がビーム状に伝播するため、高周波数の音波は前方から直接耳道に入らず、耳介(ピンナ)に反射して耳道に入ります。この反射により遅延が生じ、その遅延時間はトラガスから対トラガスおよびヘリックスまでの距離を音速で割った値の2倍の長さとなります。この遅延時間は耳の大きさにより異なりますが、0.06msから0.12msの範囲です。つまり低域の音よりも高域の音の方が遅れて届くわけです。
私たちの脳は、この遅延が前方の自然音源を聞くときに発生することをよく知っています。しかし、従来のヘッドフォンで聴く場合にはこの遅延が発生しないことを学んできました。したがって、OAE1はより正確なサウンドを提供しますが、最初は慣れないサウンドに感じるかもしれません”


ちなみにトラガスから対トラガスまでの距離の2倍とは下の図のような意味です(耳のイラストはAI生成)。直進性が高く曲がりきれなくて耳穴に入れなかった高音が耳たぶに当たって反射して耳穴に入るまでの時間ということですね。
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つまりOAE1の方式ではドライバーをでた音が周波数によって広がり方が違うので這うような低域は直に耳穴に入るけど、直進性の高い高域は外耳に反射してから入るので、低域に対して高域に遅延が生じるということです。普通のヘッドフォンでは耳穴の真横から音が出るので低域も高域も同時に耳穴に届いてしまいます。
つまりOAE1の方式の方が本来音の聞こえ方は自然だけれども、耳に対して直で音がくる普通のヘッドフォンに耳が慣れている人はそれに対して脳の補正が効いてしまっているので、ヘッドフォンの音の聞こえ方に慣れてしまっている人はOAE1の音に慣れるのに時間がかかるということのようです。

この仕組みは脳の学習を見込んでいるので、ZE8000のように慣れる時間が必要になります。HD800を聴き込んでOAE1に移ると変な感じに思うけれども、ずっとそのまま聴いていると普通に聞こえてきます。耳に直接入れるイヤフォンの場合に比べるとヘッドフォンでは耳介を使うことができるので慣れの問題はそう大きくはないかもしれません。逆にいうと自然な音再現のために外耳を積極的に使うのがOAE1と言えるかもしれません。

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SignatureモデルなのでGrell氏のサインが見えます

ASMR音源はHD800よりもリアルで耳に近くASMRらしく聞こえます。この点でフルオープンに近い形状だけれどもクロストークの効果は少ない、あるいは期待していないと思います。つまりフルオープンにも見えるけれどもAKG K1000のように左右の音をまぜて立体感を高めるというアプローチとは異なるということだと思います。
音は普通の開放型のように外に漏れますが、低域用にディフューザーが設けられているのでどの帯域がどのくらい漏れるのかは分かりません。

また映画鑑賞にも向いています。低音がかなり出るので迫力があるということ、それと独特の音のリアル感です。Apple TV+で映画「グレイハウンド」を観てみましたが大西洋の荒波を切っていく音はかなりリアルに聞こえます。HD800でも同条件で試しましたが、HD800よりはOAE1の方が波濤を砕いて進む迫力・リアルさでかなりOAE1の方が上のように思います。

空間オーディオ音源に関してはM2 Macbook Airのヘッドフォン端子に直差ししてHD800(3.5mm端子にリケーブル)とOAE1で、ミュージックアプリでDolby Atmosデコードのオンオフをして試してみましたが、そう差は大きくないように思います。というかOAE1だと常にHD800のDolbyデコードオンのような少し遠めの音再現になっているというべきかもしれません。この辺はちょっとコメント保留しておきます。

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普通のステレオ音源を聴くヘッドフォンとして考えると、はじめに考えていたようなGrell氏のHD800の後継機というようなモニター的な音ではなく、どちらと言えばリスニング向けと考えたほうが良いと思います。独特の音場感を楽しんで音楽に浸りたいというユーザー向けだと思う。音質的にも価格的に悪くはないですし、作りも含めて個人的には悪くないと思います。ただ装着感が少しタイトなので長時間装着はしにくいかもしれません。

またいつもヘッドフォンで音楽を聴いている人は要注意なヘッドフォンではあります。そういう意味ではZE8000と似た点はあるかもしれません。仕組みは全く違うとは思いますが、体の外形を伝う音を考慮したHRTF的な考え方はちょっと似ていますね。
HRTF的な考え方というと体験は個人差が大きいということにもなるかもしれません。もしかすると自分ダミーヘッドサービスのようなものと組み合わせるとなんらかのブレークスルーがあるかもしれませんが、それはさすがに分かりません。
いずれにせよ、興味深くユニークなサウンドのヘッドフォンと言えます。

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posted by ささき at 08:41 | TrackBack(0) | __→ Senn HD800 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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