ES80はWestoneの新しいフラッグシップとなるカスタムイヤフォンで、W80同様に8つのドライバーを採用しています。それぞれ4つが高音域、2つが中音域、2つが低音域を担当する3Way方式です。
W80同様にALOの高品質ケーブルが付属するところもポイントです。本稿ではWestoneの音質の「ゴッドファーザー」である先日来日したカールとクリスのカートライト兄弟のインタビューを交えて、ES80とWestoneのカスタムIEMを解説、レビューしていきます。
カートライト兄弟(WestoneのWサインを出しています)
カールとクリスのカートライト兄弟は陽気で面白く、なかなか会話がはずみます。
関連レビューは下記のものがあります。
Westone W80
Westone ES60
テックウインドさんのWestoneホームページではES80について、「高域のドライバーが4基になったことでさらに明瞭な高域を得られ、またステージ上のミュージシャンの望むダイナミックな低域を維持しながら、高音域のディテールを提供している」とあります。
本稿ではES80を解き明かすため、まずこの解説内容を詳しく補足する形で、カートライト兄弟へのインタビューから始めます。
* ES80設計のポイント
まず「ES80の開発のポイントはどこか」という点についてカートライト兄弟に聴いてみました。
これについてまずカール・カートライトが答えると、まずW80では空間表現とハーモニックコンテントを出したいというところに焦点を当てていたということです。(W80のレビューを参照してください)
兄のカール・カートライト(主に音決め)
カール・カートライトが言うにはES80ではドライバーのコンビネーションを考えるうえでクロスオーバーデザインでは振り出しに戻る必要があったということです。ひとつにはW80の評価がとても高くて、みながそのESバージョンを聴きたいという要望が強かったということ、そしてもうひとつはカスタムIEMはミュージシャン向けであるため、コンシューマー向けのW80とはおのずと異なるということです。
カスタムではオーディオファイルというだけではなくミュージシャンの要件を満たす必要があるというのは、ひとつにはダイナミックレンジの要件を満たすということで、例えばだれかかバスドラを強く打った時に、低域ドライバーが音のエネルギーを保ったまま音を生かして(歪まずに)再現しなければならないことを意味しています。
私のES80をいじる弟のクリス・カートライト(主に構造設計)
これはなぜかというと、ステージ上で自分たちの音を聴く場合には我々音楽愛好家がすでにマスタリングされているアルバムの曲を聴くのと違って、音圧の差が大きいからということです。このためES80では中音域と高音域を等しく保つことに苦心したそうです。これはつまり(マスタリングされていない生の音の)ライブの音の影響は低域と中高域では違うため、(マスタリングされた音に適したコンシューマー向けの)W80での設定はES80ではうまく働かなかったということです。そのため、クロスオーバーと音導管の集中するアコースティックカプラー部分を再設計したということです。
彼らはよく紙に書いて説明してくれます
アコースティックカプラー部分の設計は音管の長さ、太さとともに位相をそろえるために必要であり、それは音楽が録音された空間(スタジオ)の反響までの時間の大小(ディケイ)を再現するのに必要で、ハーモニックコンテントの再現のポイントの一つとなるということです。
このようにES80ではW80と同様のハーモニックコンテント(端的に倍音再現)に加えて、プロ用という観点からダイナミックレンジの確保にも設計のポイントがあったことがうかがえます。
* ES80の音のインプレッション、「音の凄み」
ES80はプロ用のカスタムなので化粧箱ではなくケースに入って送られてきます。
W80で好評だったALOケーブルも付属されているのがES80の魅力の一つです。これは音質レベルをさらに高めてくれます。
ES60では人の声の鮮明さに感嘆したけれども、ES80では「色彩感・音色」の描き分けが優れているという点で感嘆します。楽器の音色表現のリアルさではカスタムの中でも随一ではないかと思います。これはW80でも良かった点ですが、より洗練されてかつ自然に聞くことができます。ES80でSP1000 SSとCPを聴き比べると、金属の違いだけでこんなに音が違うということに驚いてしまいます。
伊福部昭の琴とピアノだけの器楽曲があるんですが、ずっとこのシンプルな音楽に聴き入ってしまいました。楽器の音を聴いているだけで心地よくなるのです。これはカートライト兄弟の言うハーモニックコンテントの再現、そしてES80では特にダイナミックレンジの改良によってオーディオを聴く側にとってもより自然な音が聞くことができるということも関連しているように思えます。
ベルが鳴り響く音楽をSP1000 SSで聴いてみると、一瞬どこから音が鳴っているんだろうと、耳の錯覚を感じてしまうほどです。次に低い音の電子音がそれにかぶさると、今度は地鳴りのように響いてくる音に恐ろしさすら感じます。ただ音がスケール感があるというだけではなく、SP1000でのこの音の立体感はこのクラスでもかなり優秀な方と思います。次に女性ヴォーカルに切り替わると、目の前にシンガーがいるかのような自然な音楽を聴くことができます。
こうしたまるでDSPで行うような感覚を純粋にアコースティックに行うというのも、ES80の優れた点だと思います。
カートライト兄弟がいうには、W80での目的は達成したが、この先を考えるともっと低域を増やす言うのでもなく、ドライバーを増やすのではなく、もっと楽器の音色を正確に再現したいというのが目標となったということです。
その目標というのはたとえば音楽を聴くときに鳥肌が立つというようなもので(ここでカールはとても科学的だろ?と冗談)、言い換えると音楽の情熱を伝えるというようなものです。それはプレスリーの時代の音楽も電子音楽もひとしく時代と空間を再現するというものです。
それには音楽が録音された空間(スタジオ)の反響までの時間の大小(ディケイ)を再現するのに必要で、ハーモニックコンテントの再現のポイントの一つとなるということです。
この実現には特に高音域ドライバーが重要だが、単に高域を上げると疲れてしまい倍音に逆に鈍くなってしまう。そこでドライバーの音自体を生かす、音のエネルギーを取り出すというところが重要だそうです。
解像力が恐ろしく高くシャープなのにSP1000SSで聴いてもきつさをあまり感じさせないのもWestoneらしい音だと言えます。単に正確と言ってもドライなわけではなく美しいのもWestoneならではです。
カートライト兄弟にふつうBAだけの音はドライになりがちだがWestoneでは暖かみさえ感じられるのはなぜかと聞いてみたところ、やはり音導管の太さ長さやクロスオーバーでチューニングしてそのようにしているということです。
解像度とか周波数特性というほかに、そうした「感覚的なすごみ」に踏み込んでいる音の良さがES80の良さと言えるのではないかと思います。
* ES60からES80への「深化」
次に実際に音が具体的にES60からどう進化したかということを聴くために同じALOのケーブルでES60とES80を試聴しました。これはまずAK380+AMPで比較しました。ES80のほうがやや能率が低いので音量合わせが必要(AKの目盛りで5-6程度)でした。
比較すると、ES60のほうが中高域は強調気味でシャープかつやや薄味、ES80は自然に豊かに濃く聞こえます。ES80は澄んで伸びていく中高域のように聴こえます。バロックバイオリンの倍音豊かな響き・音色はやはりES80のほうがよくわかります。ここにもハーモニックコンテントの目指したところがわかるでしょう。
低域表現もES60のほうが強調されて大きめです(言い換えるとコンシューマライク)。ES80はそれ自体は量は十分あるのですが、より抑えめです。
ジャズヴォーカル曲を聴いてみると、音の自然さがES80では抜きんでいて、ダブルベースは前に出すぎずに適度な位置を保っています。ES60ではベースの強調感があって少し目立ちます。この辺にES80のもうひとつのテーマである(特に低域方向での)ダイナミックレンジの拡大が感じられます。ES80での低域は強さというよりも深みに重点がおかれているようにも思えます。
左がES60、右がES80
ヴォーカルではES80のほうが艶があって、女声であればより官能的に聞こえる感じで、暖かみのある艶っぽさが感じられます。厚みのある豊かな肉声という感じですね。ES60では前回のレビューでも書いた独特のクリアさ・明瞭感があって発声がとてもはっきりと聴こえるのですが、やや艶っぽさに欠けて冷ややかに聞こえます(比較的ということですが)。これはアカペラを聴いた時により明確にわかります。ES80では音の自然で厚みのある再現度の高さが特徴で、ES60では各発声がより際立つクリアさが特徴です。
ここもやはりカートライト兄弟のインタビューにあったように、ES80では高域はきつくせず、低域も強すぎるとダイナミックレンジに入らなくなるため、ES60よりも高低の強調感は少なくなるように設計していると思います。
そのかわりに、より広いダイナミックレンジと、より豊かなハーモニックコンテントを持つような設計にしているのがES80だと思います。ES80では低域は抑え目のように感じられる反面で、地鳴りのような震えるほどの深みのある低域表現ができているのはハーモニックコンテントが低域にも聞いているのかもしれませんが、それはわかりません(インタビューの時に聞けばよかったかも)。
つまりES60に比べるとより自然で、豊かな音色、声色が分かるのがES80ということが言えると思います。
ES80
ES80とES60でのもうひとつ興味深い差はSP1000SS/CPのようにさらにひとレベル高い音再現力をもったDAPを使った時だと思います。SP1000はさらにAK380よりもよりハイエンドのDACを搭載しており、より細かでより高級感のある音再現ができますが、その「より細かで、より高級感のある」という部分を感じさせてくれるのはES80のほうです。ES60も独特のクリアさと打撃感の強さがありますが、ES80では説明しにくいような独特の空気感というべきハイエンドDAPの持つ豊かで厚みのある音楽の世界を再現してくれます。これはSP1000SSよりも音に深みのあるCPのほうでよりわかりやすい差となります。
これもカール・カートライトが言ったように「ES80では鳥肌が立つのが目標」という目標を満たしたように思えます。
私がES80ではベルの音が物理的なドライバーではなくどこか空間から聞こえてくるようだとカートライト兄弟に言ったら、それはまさしく目指していたことで、1956のプレスリーのライブであれ、デジタル録音であれ、壁を持った音響空間を再現したかったということを言っていました。
ES80
ES60とES80を比べるとやはり音の質感表現、忠実度、完成度という点ではES80のほうに軍配があがりフラッグシップらしい凄みを利かせてくれます。また一方で音の個性がES60とES80では違うという点もあります。これはクロスオーバーをはじめいちから設計し直したということもあるのでしょう。
カートライト兄弟のインタビューでもあったようにES80ではハーモニックコンテントという他にダイナミックレンジの改良がなされていて、抑えめの低域はそのポリシーに沿っているようにも思われます(低域が強すぎてゆがまないようにするため)。
ただしES60は(比較すると)よりコンシューマライクであり、独特のクリアさと高域と低域の強調感があります。組み合わせる機器によってはES60のほうが良いという人もいるかもしれません。一例をあげるとWestoneのBTワイヤレスアダプタにつけた時です。これではES80のもつハーモニックコンテントの強みがあまり発揮できない反面で、ES60の先鋭さと強調感が音を良く聴こえさせ、贅沢ではありますがとてもBluetoothで聴いているとは思えないような音再現を聴かせてくれます。
これらのことからES60を持っている人はそれに足してES80が欲しくなるかもしれません。
* W80からES80へ、カスタムならではの強み
もうひとつES80を聴いていて気が付いたのは、W60とES60が違うように(ES60のレビュー参照)、W80とES80もやはり違うということです。これは同じハーモニックコンテントというテーマを持っていても、やはりES80の方がよりよく優れた音再現を聴かせてくれます。Westoneはユニバーサルでは音質と快適性の両立が絶対条件だと語っていましたが、そのコンパクト縛りというリミッタを外したのがES80と言えるかもしれません。
そしてなによりも、ユニバーサルは万人に合う中庸の作りですが、カスタムはカートライト兄弟が自分のためにチューニングしてくれているということです。
カールが持っているのはW80、ES80と比べて説明しています
それを裏付けるため、直球でユニバーサルよりもカスタムのほうが良く聴こえるのはなぜか、とカートライト兄弟に聞いてみました。
カール・カートライトが言うにはまずそれはカスタムのほうがユニバーサルよりも大きいからであるということです。W80ではひとつしか音のでる穴がありませんが、ES80は2つあります。カスタムでは人それぞれの耳の形をとってそれに合わせた穴を設けるため、よりよく聴こえるということです。
クリス・カートライトはそれに続けて、ドライバーをコンマ・ミリミーター単位で動かして人それぞれの耳に正しい周波数特性が伝わるように調整するということを語ってくれました。
つまりカスタムというのは耳型に合わせて正しいフィットを得るというだけではなく、ドライバーを動かして人それぞれに合わせた調整をしてくれるというわけです。耳型の「耳の形」だけではなく、「音の形」も人に合わせるために、カートライト兄弟のような音のプロがワタシの耳に合わせて調整してくれるというわけです。(ここでカールとクリスが声を合わせて私のES80を持ちながら、これは君のためにやったんだよ、と言ってくれました)
これにはイヤーカプラーを使って調整器を使いながら行うそうです。それには人によって数分で済む場合もあるし、一時間(それ以上)もかけて行うときもあるということ。
つまりカスタムというのは、カートライト兄弟の考えるリファレンスの音があり、人の耳によってそれが違う風に聞こえるのを吸収するために、プロのカートライト兄弟が正しく音が聞こえるように個人に合わせたチューニングをするということです。人は右と左の差もあるので、それも同じになるようにチューニングするそうです。そのため位相や音のフォーカスもより正確になるのでしょう。
つまりユニバーサルよりもカスタムが音が良いというのはそういうことです。
ここで、ユーザーの好みによって低域を上げるとかヴォーカルを明瞭にという依頼はできるかと聞いてみたら、カールが言うにはそれは検討してみたがクロスオーバー回路の設計を一つごとに行わなければならないので見送ったということです。(ちなみにJust earはクロスオーバー回路はありません)
* Westoneのフレックスカナル
ES80を使うと耳に吸い付くフレックスカナルと、カスタムIEMの中でも抜きんでて優れている遮音性がよくわかります。遮音性が高いということはより細かな音がノイズに埋もれないで聴くことができるということです。Westoneの場合には本当に使用して歩くのは注意を要するので念のため。このフレックスカナルについてもカートライト兄弟に聴いてみました。
カートライト兄弟に聞いてみると、フレックスカナルは実のところカスタムIEMのために考案されたのではなく、それより前の補聴器時代のデジタル化される以前の時代に、こうしたフレックス素材を使っていたということ。理由は二つあり、ひとつはアナログ手法(音響)だけで難聴に対応する正しい周波数に合わせるためには確実な遮音が必要だったということ、もう一つは補聴器のマイクの干渉を防ぐためにも確実な遮蔽が必要だったからだそうです。これは1970年代から使っていたということ。(素材は多少変化しているそうです)
それからステージのミュージシャンのためにカスタムIEMを作るときに、ステージの環境はとてもうるさいのでフレックス・カナルを流用することを思いついたということです。
(前回の「イヤモニ初めて物語」参照)
これは口を開けて歌うときに耳の穴が変形するわけですが、それにも追従してきちんと低音を逃がさない働きがあるということです。
つまりフレックスカナルもWestoneならではの技術だということです。これも完全に手作りで製作をしているからできるそうです。いまの3Dプリント手法だとこれはできないだろうね、と言ってました。
* まとめ
これはいままで書いたことの繰り返しですが、「新開発のXXドライバーやZZテクノロジーを採用して高音質を目指した」、という言い方はWestoneではしません。
長い経験の歴史、補聴器から軍事分野までの広範な取り組み、膨大な人の耳のノウハウ、それをまとめあげるカートライト兄弟の手腕こそがWestoneの独自技術というものでしょう。Westoneならではのフレックスカナルもその歴史から生まれたものです。
ES80でカートライト兄弟の目指したものは、より豊かなハーモニックコンテント、ミュージシャン向けのダイナミックレンジ、リアルな空間再現などです。
それらはレビュー中に書いたように見事に結実していると思います。
カートライト兄弟は自分たちはとにかくそういう作りたい目標があってイヤフォンを作る利己的な設計者だが、聴いた人にそれを喜んでもらえれば幸いだ、と語っていました。
そうした彼らがまさに「自分のために」作ってくれる最高のカスタムIEM、ES80をぜひ試してみてください。