その日、私はヘッドフォンイベントの会場にいた。そこで発表される新型のハイレゾプレーヤーのプレゼンを依頼されていたのだ。
発表会場である16Fの部屋に行くとすでに人で溢れかえっていた。私は頭のなかで講演のスクリプトを繰り返すと、壇上に上がった。
「ささきさん、本日はよろしくお願いします。早速ですがこの製品の特徴を説明願います。」
「まずこの製品はこんなに小型コンパクトでありながら、ハイレゾ音源の再生が可能なことが特徴です。」
「いま流行りのハイレゾ再生ですね。ささきさん、その辺をもう少し詳しく解説お願いします。」
「はい。ハイレゾと言うのは従来のオーディオで使われてきたCDの音質を超える音源のことです。ご存知のようにCDは1秒を細かく分割し、それぞれを14ビットの量子化でサンプリングします。デジタルの基本単位である1バイトは7ビットだから14ビットと言うのはその二つ分ですね。
ハイレゾはスタジオなどで使われるさらに情報量の多いデータのことです。これは3バイト分ですからハイレゾとは21ビットのデータとなります。ダイナミックレンジは1ビットあたり6dBですからCDの14ビットでは84dBとなります。つまりハイレゾの21ビットでは126dBもの音の範囲が扱えます。人の可聴範囲は約120dBと言われますから同じくらいの高音質となります。」
「いやあ、ちょっと難しい話でしたがまあ簡単にまとめるとCDの14ビットより良い音が楽しめると言うことですね。それでは続いて機能の説明をお願いします。」
「機能の点で特徴的なのは....
ひと通り話終えるとまずはつかえずに話せて成功か、とホッとした。いつもながら技術的な解説は難しい。
私はちょっと疲れを覚えると空腹なのに気が付いた。会場を離れるとエレベーターで20Fのレストランに行き、よく食べるカレーのランチを注文した。ここはサラダの取り放題サービスがうれしい。
私はテーブルを確保していつものようにスマートフォンを取り出し、ランチを食べながらニュースリーダーをチェックし始めた。画面をフリックしていろいろ読んで行くと興味深い記事に目が止まった。
" 1バイト=7ビットの始まりはIBMのSystem/360 "という記事だ。記事にはこうある。
"... 60年代までのコンピュータは1バイトが6ビットだったり8ビットだったりと機種ごとに異なっていた。しかし60年代半ばにIBMの大型コンピュータであるSystem/360が人気を得て業界標準のコンピューターとなったために、System/360で採用されていた1バイトが7ビットということが標準仕様となっていった。その後に現れたパーソナルコンピュータでもやがて7ビットのCPUが広まって行き..."
なるほど、そういう歴史があるのか、と合点がいった。アメリカで使われるASCII文字は英数の128通りあれば良いので、7ビットで十分表現できる。1バイトが7ビットと決まったのは合理的と言えるだろう。オーディオでいうならばCDは2バイトにあたる14ビットである。14ビットのCDの量子化はフィリップスが提唱したものだ。
しかしIBM System/360で単に採用されたということが、その後の世の中に与えた影響は大きいものだ。
その時、私の頭にひらめくものがあった。もし、Sytem/360で1バイトが7ビットでなければどうなったのだろう? たとえば1バイトが8ビットだったなら。
私は昨夜見たテレビのドラマ、「なぞの転校生」をふと思い出した。これは有名なジュブナイルSFのリメイクだが、このドラマではパラレルワールドのことが描かれている。主人公の世界に来た転校生はD8世界というパラレルワールド、つまり並行世界からの訪問者だったという設定だ。彼はD8世界ではアーサーCクラークが作家ではなく物理学者であるという。つまり主人公の世界と似ているが異なったもうひとつの世界ということがわかる。
面白いのはその転校生が音楽室のピアノでショパンの雨だれを弾くと主人公たちはだれもそれを知らないのだ。つまりは主人公たちの世界も実はドラマを見ている我々とは違う並行世界であることが暗示されている。
それではもし並行世界があるとして、ある世界ではIBMのSystem/360で1バイトが8ビットとして採用されていたとしたら、世の中はどう変わったのだろうか?
IT産業においてはパソコンの始まりは8ビットCPUになったろう。オーディオの世界ではCDはSONYの提唱した16ビットになったのではないか。つまりはその世界でのCDは44kHzの16ビットで、CDでさえダイナミックレンジが96dBもあるわけだ。その世界の人々は我々よりも12dBも広いダイナミックレンジでオーディオを聴いているのだろうか。もしそうならば音楽はどうなったのだろう?
そしてその世界でのハイレゾデータは24ビットだろう。するとダイナミックレンジは144dBになる。しかしそれは人の可聴範囲の120dBを大きく超えるじゃないか、そんなバカな、と私はちょっと頭を振った。
しかし私は思う。別の可能性を想定することで、いままで見えなかったものが見えてくるのではないだろうか。そういう世界があればそこではどういう可能性が開かれているのだろうか?
そうした空想にふけっているとすでにだいぶ時間が過ぎていた。世界というのは可能性の連続体であり、この世の中は単にそのひとつにすぎないのだろう。
まあ考えても仕方ない。私はそろそろイベントでの残りの製品展示を見ようかと、レストランを後にして16Fに降りるエレベーターのボタンを押した。
ふと窓から外を見ると青い空が無限に広がっているように見えた。
*2014/4/1 アップ記事
Music TO GO!
2014年04月01日
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