Music TO GO!

2007年01月09日

アイリッシュの変遷(2) "When Johnny comes marching home"

年末のセールで買ったCDのひとつに"The best of celtic music"というものがあります。いつもならこういう怪しいタイトルのものは買わないのですが、二つ理由があります。ひとつはCarolanという有名なアイルランドの作曲家の"Carolan's Rambles"という彼の旅を題材にした曲で私が持っているCashelとは別のTeagueのバージョンがあったということ、そしてもうひとつは以前書いたアメリカで南北戦争の歌として知られる"When Johnny comes marching home"のアイルランド原曲の"Johnny I hardly Knew Ye"がヴォーカルつきで入っていたことです。

前項ではアイリッシュの変遷としてアイルランドの"Shule Aroon"がPPMの"Gone The Rainbow"にいたるまでを書きました。Shule Aroon(シュール・アルーン)は日本でも人気の高いケルティック・ウーマンにシューリ・ルゥ(ウォーク・マイ・ラヴ)として入っていて日本人のカバーでも歌われたのでいまでは日本でも知られるようになりました。
一方でこの"Johnny, I hardly knew ye"から"When Johnny comes marching home"への流れはもっと興味深いものといえます。

「ジョニーは戦場に行った」というと日本では映画が有名であると思います。この映画は第一次大戦にアメリカ兵士がヨーロッパに従軍して四肢損傷して帰還するという痛ましい事実をベースにした反戦映画です。ですので南北戦争に歌われた"When Johnny comes marching home"とは直接関係ありません。しかし、「ジョニーは戦場に行った」の原作者はこのアイルランド原曲の"Johnny, I hardly knew ye"から着想を得ています。
"Johnny I hardly Knew Ye"の歌詞は下記サイトで見ることが出来ます(上記CDとは歌詞がやや違います)。また曲も聴くことが出来ます。曲はいろいろな映画にも使われているので聴いたことのある人は多いでしょう。
http://www.ireland-information.com/irishmusic/johnnyihardlyknewye.shtml

"Johnny I hardly Knew Ye"を直訳すると「ジョニー、あなただと分からなかった(YeはYou)」ですが意訳すると「変わり果てたジョニー」となります。わたしが持っている版では歌詞を読むと出征したときにははつらつとした瞳の若者が、戦場から帰ってどんよりとした目のいわゆる戦場症候群のようになって戻ってきたさまを恋人が嘆くさまが歌われているように聞き取れます。しかし、上のサイトのような他の版を読むと「あの草原をかけまわった足はどこへ行ったの?」ともっと直接的に四肢損傷したように記述された歌詞もあります。そしてこれが映画「ジョニーは戦場に行った」の着想のもとになったと思われます。

歌詞にはJohnnyはセイロンに行ったとありますので、おそらく1815年ころの東インド会社設立に伴う遠い国の戦いにジョニーは駆り出されたと思います。前線に立つ兵士はいつの時代でも貧困層か差別されたものが当てられますのでJohnnyはイギリス兵としては正統ではなかったアイリッシュ系などを隠喩しているのかもしれません。いまでもイラクに行く兵士の多くは黒人で貧しい地域の出身者が多いと聞きます。
つまり1815年当時からすでにいまのイラク帰還兵のような問題があり、こうした反戦歌があったということをうかがわせます。


しかし、この"Johnny, I hardly knew ye"はアメリカ大陸に渡り、1862年から始まる南北戦争で同じメロディーで"When Johnny comes marching home"として歌われた歌詞はまったく異なる内容になっています。
歌詞にはジョニーが帰ってきたときに凱旋して町を行進するように描かれています。マーチのように編曲されていて哀愁を残しつつも原曲よりだいぶ勇ましいものになっています。つまりまったく反対の意味の歌になっています。
これは興味深い変化ですが、理由としては歌詞にもともとあった「drums and guns, guns and drums」という繰り返しフレーズと「hurroo, hurroo(万歳、万歳)」というフレーズが原曲ではアイロニカルにひねって使われていたのに対して、"When Johnny comes marching home"ではそのままダイレクトにその意味で引用されているということにあると思います。

これは意図的なものだと思いますが、南北戦争はアメリカの歴史でももっとも血が流れた戦争であり、そうした士気を鼓舞する必要があったということでしょう。南北戦争のように巨大な戦いでは国家がすべてを統制するようになり、音楽もそれに含まれたということだと思います。
音楽というのはナチスもマインドコントロールの要素として重要視したものですが、国家総力戦のはしりといえる南北戦争のころからそうした根があったといえるのかもしれません。
posted by ささき at 00:31| Comment(2) | TrackBack(1) | ○ 音楽 : アルバム随想録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
英国支配下のアイルランド人は、微罪でもオーストラリア・ニュージーランドに送られたとか、カトリックということで新大陸で迫害されたとかは知ってましたが、戦争でも前線にかり出されたんですかねぇ。言われてみれば、そうだったんだろうなぁって思います。そう言う苦難がすばらしい音楽やダンスを生んだのかも知れません。
それはそうと、中村屋のアイリッシュケーキおいしいですよ。どうして抹茶味があるのか不思議ですが(笑)。
Posted by ひっちょ at 2007年01月09日 21:57
たしかに表向きは強制的にいかせられるのではないかもしれません、しかしいまも昔もそうでしょうけど普通の人から見たら取るに足らないように思える額の危険手当でも命と引き換えに取らねばならない人たちもいる、ということだと思います。
Posted by ささき at 2007年01月09日 23:03
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