はじめに断っておくと、この記事はMLAS(Mark Levinson Audio Systems)の伝説的プリアンプであるLNP2の記事ではありません。検索で来た人すみません。
しかしそのLNP2を創ったのと同じ人たちの話です。ここで言うマークレビンソンはハーマンのブランドではなく、マークレビンソン氏その人です。マークレビンソン氏の名を高めたのはこのLNP2というプリアンプで、特にバウエンモジュールが搭載された個体はひときわ人気があります。ここでいうディックバウエン氏(リチャード・S・バウエン)はそのバウエンモジュールに携わったバウエン氏です。
そしてこの記事はビンテージオーディオの話ではなく、PCオーディオの話です。つまりマークレビンソンとディックバウエンのいまのお話です。
この前マークレビンソン氏は伝説の中や過去の人ではなく、いまも精力的に活動している人だと書きました。Daniel Heartzというスイスのブランドを立ち上げています。ラインナップはいわゆるハイエンドオーディオでスピーカーからアンプ、DACまでそろっていますが、CD/SACDプレーヤーが用意されてないという点に目を留めておいてください。
http://vaiopocket.seesaa.net/article/238516292.html
上に引用したMonoAndStereo誌の記事の中でマークレビンソン氏が意味ありげに今後の展開を見ていてほしいと言っていましたのが気になっていましたが、最近レビュアーのスコット・ウィルキンソンの長いインタビューにマークレビンソン氏が答えている動画を見つけました。
http://www.computeraudiophile.com/content/Mark-Levinson-Video-Interview
http://www.computeraudiophile.com/content/Mark-Levinson-PCM
このインタビューの中で、マークレビンソン氏が「PCMの音は粗いが向上させる方法はある」というようなことを語ったのに対して、ある人がこれのことではないかとポストしていたのが"Burwen Bobcat"というものです。この名前にちょっと目が留まりました。
バウエンといえばあのLNP2のバウエンモジュールですが、いまでもマークレビンソン氏とバウエン氏が親密にやっているんだという点と、バウエンというとアンプのモジュールをつくるハードの人という感じですが、ここで書かれているのはソフトウエアであるという点に興味を持って調べてみることにしました。
まずBurwen Bobcat(バウエン・ボブキャット)とはなにかというところから説明していきます。
*Burwen Bobcatとは
Burwen Bobcatはバウエン氏が開発したPCMの音質を向上させるソフトウエアと技術の総称です。こちらにホームページがあります。
http://www.burwenbobcat.com/BBTB_Home.html
ちなみにBOBCAT(山猫)というのはBURWEN OPERATING SYSTEM, BEST COMPUTER AUDIO TECHNOLOGYの略でマークレビンソン氏による命名です(後述)。
2005年のDaniel HeartzのDACとのバンドル版をはじまりに、現在はTR(Trueの意)とTone Balancerの二種類があります。TRは2011年にリリースされた再生に特化したもので設定がプリセットされています。Tone Balancerはエクセルシートによるトーンコントローラを搭載したものです。TRは$105、Tone BalancerはTRを含んで$465です。
私はTRを一ライセンス買って試してみました。ここからはコア(エンジン)部分ともなるBobcat TRの説明になります。
Bobcat TRはWindows Media Playerのプラグインです。DSPプラグインの一種というとわかりやすいかもしれません。なにをするかというとBobcat TRは音質を改善させる目的で高域にリバーブを適用し、低域にトーンコントロールを適用します。ただしリバーブ(reverberation)といっても人工的なリバーブはBurwen氏も好きではなく、リバーブといってもエコーのように聞こえるものではなく、"Air"・空気感みたいなものだと言ってます。他のソフトのエコーのようなリバーブ・エフェクトはトランジェントを甘くしてしまうが、Bobcatは逆にトランジェントを鮮明にして明瞭感を増すということです。
これは5kHzより上の高域にポイントを絞るというところがミソのようで、そこが自然の反射音やいわゆるリバーブエフェクトとは異なるそうです。もともとは自分で録音に使っていた鳴りの良いホールの自然な反響の研究からはじまったけれども、結果的には自然界にはない反響の仕方を高域に加えるという方法で音質向上が得られることが分かったということのようです。また実際のホールの反響よりも10倍くらい複雑な波と反射の要素を計算しているとのこと。
この技術はいくつかの国で特許取得しているようです。調べてみたところ米国特許の8,041,045で"Unnatural Revervation"(自然には存在しないリバーブの適用)というタイトルでファイルされています。出願したのは2005年10月です。このソフトウエアの発表時ですね。
従来技術では高域が不完全(imperfection)であり、いらいらする刺激を与えてしまうが、高域を減衰させると細部が失われてしまうのが問題点であるとしています。このUnnatural Revervationの仕組みとしてはFIFOバッファにサンプルを入れて、ある係数に基づいて計算を加えていくというもの。先入れ先だしのFIFO(First In First Out)バッファに入れるというところがディレイというかリバーブのシミュレートなんでしょう。
*Bobcatの購入と使用について
購入はこちらのサイトで行い、ライセンスキーはあとで別メールできます。
http://www.burwenbobcat.com/BBTB_Download.html
立ち上げ方はWindows Media Playerのメニューがデフォルトではオフになっているので、これをオンにしてメニューをまず表示させます。つぎにメニューからプラグインの設定で
Burwen Bobcat TRを有効化します。すると下記のウインドウが出てきます。囲まれているところは現在の設定です。
Bobcat TRは次の3つの使い方があります。
1. Windows Media Playerで音源を再生するさいにBobcat TR経由でリアルタイムに効果を加えます
ちなみに96/24まで対応するということです。
2. WAV、MP3、WMAロスレスファイルを一括変換して、MP3、WMAロスレスとして効果を加えて保存できます。出力はWAVを選べませんが、WMAロスレスにしておけばあとでFLACとかWAVに変換しても問題ありません。
3. Windows Media Playerでリッピングするときにも効果を加えて音源を保存できます。
Bobcat TRには3つの出力オプションがあります。
1. Pure Bobcat (またはBasic Bobcat) - 基本的なプリセット
このとき5kHz以上の高域にわずかなリバーブを加え、超低域を少し増強するということです。
2. Smooth Bobcat - 古い録音や良くない録音の再生のためのプリセット
高域にリバーブを加えて3.5kHzあたりのレスポンスを下げて、600Hzあたりを増強します。さらにNo Screechという処理をしてヴォーカル帯域のきつさを抑えます。これは昔のモニタースピーカーの特性とか近すぎるマイク配置が必要以上に高域を強調して録音していたからということです。もともとBobcatはSplendarというBurwen氏が作ったマスタリングソフトウエアから派生したものということです。
3. No Bobcat - Bobcatのバイパスをして無効化します。
ちなみにバッチ処理した音源を再度BOBCATプラグインのあるWMPで再生すると、自動的にBOBCAT処理されたことを認識して自動的にNo Bobcatが選ばれて二重適用されることはないようです。
Pure BobcatとSmooth Bobcatの使い分けは音の好みというよりは普通に録音が良い時はPure Bobcatを使用し、古い録音や録音が良くないときはSmooth Bobcatで補正するということのようです。
*Bobcatの効果と音質
次に実際の音ですが、まずこちらのページでMP3での効果が試聴できます。
http://www.burwenbobcat.com/BBTR_DEMO.html
ここでははじめに効果適用済みのジャズ(バウエン氏が録音したもの)が再生され、次に効果を適用する前のものが再生されます(つまり「あり」->「なし」です)。はじめの解説部分で効果はわずか(Subtle)と自分で言っているように、効果は微妙です。ただたしかにあります。MP3では鮮度感が増していきいきとする感じがあるようです。
わたしは主にバッチ処理変換を使用していくつか手持ちのアルバムをBobcat変換して、元の音源と比較してみました。PCにおいてはWMPではないFoobarなどのプレーヤーを使用し、iBasso DX100などポータブルでも使ってみました。
良録音のとてもシャープな(ある意味きつめで鮮明な)録音だとPure Bobcatの効果が分かりやすいと思います。一言で言うと、解像感を減らさずに聴き疲れを減らす、という点です。
いわゆる「デジタル的な」ギラギラしたきつさが取れて聴き疲れがしなくなる一方で、音の鮮明度や解像感は変わりなく、機材が上質になったような気もします。
Pure Bobcatは変化が大きくはないので、逆に常用できるという気がしますね。Smooth bobcatは変わったのがかなり明白です。効果を確認してから適用した方が良いでしょう。
このほかには携帯のLGがこのライセンスに興味をしめしたので、Mobileバージョンというのを作ってLGのスマートフォンのKM900 Arenaなどに搭載しているようです。
ちなみにマークレビンソン氏はLGのオーディオアドバイザーを務めていたそうです。
* Burwen BobcatとDaniel Heartz、ハードとソフトのはざま
本記事を書くために、このバウエン氏のサイトをずっと読んでいたのですが、面白かったのはFAQのところの「真空管アンプを用意した方がよいですか?」という質問に、「やめておけ、それは歪みが大きいイコライザーみたいなものだ」、と答えている点です。60年もの経験を持つ回路設計の神様みたいな人がそう言い切って、いまではPCオーディオのソフトウエアを作っているというのがとっても意外です。バウエン氏は当然ながらたくさんの真空管アンプを作ってきています。
バウエン氏いわく、オーディオにおいてもっとも重要なものは周波数特性だそうで、そもそもオーディオシステムが不完全なものだからとしています。
http://www.burwenbobcat.com/Why_EQ.html
オーディオファイルはピュアリストアプローチ(接点は少なく、回路は最小などの考え方)に陥りがちだけれども、もっとイコライザーを使った方が良いと説いています。そのポリシーがこのBurwen Bobcat、特にTone Balancerにあらわれています。
バウエン氏というとMLASのLNP2で知られていますが、チェロのAudio Paletteにも関係してるようです。書いたようにバウエン氏は周波数特性に重きをおいてるので、手製のトーンコントロールを作っていて、それがチェロのAudio Paletteの原型となったようです。マークレビンソン氏はバウエン氏を師と仰いでいるのでその影響があるのでしょう。
つまりBobcat Tone Balancerはソフトウエア版のAudio Paletteみたいなものでしょう。そう考えると回路設計やってた人がソフトウエアやってる理由もわかるし、むしろ筋が通ってますね。
このBobcat TRでいくつかのアルバムをバウエン処理して、少し聴いているとより上質なハードで聴いているようにも思えてきます。もっと高級な機材ならここのきつめの硬いところはもっと滑らかなのに、という感じがソフトで実現されるという感覚でしょうか。
結局のところ、自分のポリシーを生かそうというのならば、それをハードでやろうがソフトでやろうが、同じことができれば良いということです。以前はハードウエアでしかできなかったけど、最新の技術によりソフトでやった方が効率が良いというのであれば合理的にこちらを使うということでしょうか。大事なのは実現手段よりもむしろなにをしたいか、ということで、昔はハードでやらねばならなかったことが今はソフトウエアでより効果的にできるならそれを使おうという柔軟さには敬服します。
もともとこのトーンコントロールとリバーブのアイディアというのは、さきに書いたように鳴りの良いホールの研究からはじまって、マイクを使ってアナログ的に行って研究していたようですが、それをPentium1時代にDSPを使用してソフトウエアで実現できるようになり、ついにPentium4の時代になってプロセッサ(PC)だけでそれが可能となったということです。
それをもともとはバウエン氏はレコーディングのさいに使用してCDの音質を向上するために応用しようと開発して、Audio Splendarというレコーディングのシステムにしたようですが、それをマークレビンソン氏が聴いていたく気に入ったので、マークレビンソン氏の提案でその再生専用バージョンをオーディオ再生のためにつくろうじゃないかということで出来たのがこのBobcatというソフトウエアで、このBobcatというネーミングもマークレビンソン氏のアイディアのようです。
こちらはマークレビンソン氏のBobcatへの賛辞ですが、いかなる価格のCDプレーヤーよりも優れた向上をもたらすと書いています。
Burwen Bobcat elevates the quality of CD, and MP3 to be equal to or better than analog and SACD. No CD player at any price can come close to making this improvement. - Mark Levinson
それでマークレビンソン氏のDaniel HeartzのシステムははじめからCDプレーヤーを持たないラインナップとして開発されたのではないでしょうか?
Daniel HeartzのシステムがもともとCDプレーヤーを用意せずに、はじめからPCオーディオありきで用意されているのは、PCにこのバウエンのソフトウエアを搭載して、USB DACと組み合わせるという目論見があったものではないかと思います。
こちらのPositive-feedbackの記事にこのBobcatとDaniel HeatzのDACの記載がありました。
http://www.positive-feedback.com/Issue28/burwen.htm
ここに書かれているのはマークレビンソン氏のDaniel HeartzのUSB DAC Model 1とBurwen Bobcatの組み合わせのレビューです。ちなみにこの記事は2006年の記事で、探してみるとBurwen Bobcatは2005年のドイツハイエンドショウでデビューしたようです。
これは直接バウエン氏に聞いてみたのですが、Bobcatはその当時はDaniel HeartzのUSB DAC Model 1と組み合わせることが前提だったが、いまでは特にDACを特定しないで使えるように改修しているということです。2005年の当時はDAC Model 1が接続された状態でのみBobcatが動作するようにプロテクトされていたようです。
しかし2005年にすでにPCのソフトウエアとUSB DACの組み合わせをCDプレーヤーに代わるスタンダードにしたのはマークレビンソン氏はなかなか先見の明があります。本格的にUSB DACというものがハイエンドでも使えるという一般に認知されたのは2009年のQB-9ですからね。そもそもPCオーディオっていうもの自体が世間に広まったのは2007-8年のLINNのKlimax DSあたりからのように思いますが、Daniel Heartzははるかに先を行っていたようです。というか、先すぎて発表当時は受け入れられなかったことでしょう。
マークレビンソン氏のこの辺のビジョンの豊かさというのは、やはりスティーブジョブズを想起します。この場合はバウエン氏がウォズに当たるでしょう。先見の明のあるビジョニストと優秀なエンジニアのどちらかだけではだめですが、二人が結び付くと大きな力となります。もちろんマークレビンソン氏にはジョンカールとかトムコランジェロもいて、ジョブズにはアンディーハーツフェルドとかピルアトキンソンがいました。そうして偉大なビジョニストとそれに集うエンジニアたちによってAppleやMLAS/Celloのような優れた存在が創り上げられます。しかしながら両者ともそこから追われてしまう運命まで符合するというのは、いささか皮肉なことではあります。
* そしていま
はじめのスコット・ウィルキンソンのインタビューに戻ると、マークレビンソン氏は「iTunesにマークレビンソンのライブラリを近々リリースする」とも語っています。
以前マークレビンソン氏は中国のABCという良録音レーベルにこのBobcatを用いてマスタリングしたLPをラインナップしています。つまりデジタル処理(Bobcat処理)したアナログレコードです。
http://www.burwenbobcat.com/ABCRecords.html
上で言うiTunesライブラリ、というのはおそらくはBobcat処理したマスターを使ったMastered for iTunesバージョンを計画しているのではないかと思います。
iTunesとマークレビンソンの名の組み合わせに違和感を覚える人もいるでしょうが、いまでも積極的に動いている人の証ではありますね。
マークレビンソン氏の名を聞く機会が少し増えて来たのはなにか仕掛けようとしているのでしょうか。そのなにかが上のiTunesライブラリなのか、それともLNP2とバウエンモジュールに代わる新しい伝説になるものか、それはわかりません。
しかしマークレビンソン氏にしろ、ディックバウエン氏にしろ、かなりの歳の生ける伝説という感じの人ですが、「昔は良かった、パソコンでオーディオなんかダメだ」と言わないで、PCオーディオという新しい可能性にまっこうから取り組んで挑戦し、それを自分のものとして進んでいくという情熱には拍手を送りたくなります。
Music TO GO!
2012年04月18日
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