ONIXは1980年代にイギリスのブライトンで生まれたブランドで、パワーアンプの設計から始まったようです。80年代にはイギリスをはじめアメリカや日本など世界的に活躍したブランドです。
最近では台湾のオーディオブランドの傘下に入り、Shanling Audioとも提携しています。このShanlingとの提携はXP1のファームウエアに表れています。
今回レビューするONIX Mystic XP1はバッテリー式のDAC内蔵ヘッドフォンアンプで、ブリティッシュサウンドを冠した製品です。ポータブルとは銘されていますが、かなり大きく重いのでトランスポータブルということになるでしょう。一方でShanlingとの提携の効果によりShanling H5などと似た仕組みで単体使用が可能で、重さを厭わなければ単体でも使うことができます。
このように質実剛健な面と近代的な機能性を併せ持つDAC一体型のヘッドフォンアンプといえます。
DAC部分は据え置きも含めて現在最高クラスともいうべきAK4499EXを2基とAK4191EQを1基採用しています。これは一つのDAC ICだったものを、デジタル処理を専門に行うというAK4191と、アナログ信号を専門的に扱うというAK4499EXの二つのICに分けた設計です。この形式は高速でスイッチングするノイズの塊であるデジタル部と、ノイズを嫌うアナログ部の相反する二つを根本的に切り離し、SN比の向上を目指した設計です。このためそれぞれの性能も向上し、AK4191では従来のDACのオーバーサンプリングが8倍か16倍程度のところを256倍のオーバーサンプリングが可能となっています。またこの形式は電流出力となるために、最終的には電圧に変換する必要がありますが、そのI/V変換ステージには自社開発という独自の回路を採用しています。この辺も地味に音質向上のポイントとなります。
ヘッドフォンアンプはフルバランス構成で設計がなされ、ヘッドフォンアンプとしては定評あるTPA6120A2を採用しています。これはかなりパワフルなチップです。
またXP1は豊富な入出力とモードを装備しています。
入力では同軸/光デジタル統合のデジタル入力、アナログ入力、XMOSを備えたUSB入力、LDACとaptXHDに対応したBluetooth入力(Bluetoothレシーバー)、それとMicroSDカードによるローカル再生機能が搭載されています。このMicroSDカードによるローカル再生機能はShanling H5 やEH3などに搭載されている機能と同じで、スマホ上のアプリ(Eddict Player)を使用することでスマホをリモートUIとして使用して、内蔵音源を使うことであたかもDAPのように使うことができるという機能です。
出力としては3.5mm、4.4mmバランスの端子に加えて6.3mmのヘッドフォン端子も搭載されています。背面には4.4mmのバランスラインアウト端子が搭載されています。ゲインはLow/Mid/Highの3段階ありますが、それに加えて独自のイヤフォンモード/ヘッドフォンモードが搭載されています。これは独自にヘッドフォンのために調整されたゲイン機能のようですが、詳細はわかりません。いずれにせよこのイヤフォンモード/ヘッドフォンモードと3段階のゲインで、イヤフォンやヘッドフォンの鳴らしやすさに応じて6通りの調整が可能となります。
電源は7000mAhの大容量バッテリーを内蔵しているので、バッテリーで駆動ができます。またM-Power(DC電源)モードでDC電源により駆動することでパワーを増強させることができます。
4.4mmバランスの時にヘッドフォンモード/Highゲインの際には4.9V@32Ω (750mW@32Ω)と大パワーですが、それをM-Power(DC電源)モードでは8.7V@32Ω (2360mW@32Ω)とかな裏パワーアップ可能です。
筐体はCNC切削加工技術によるもので、ディスプレイにはヴィンテージスタイルのドットマトリックス有機ELディスプレイを採用しています。サイズは160×92×30 mm、583gとポータブルとしては重量級アンプとなります。
インプレッション
かなり大柄でポータブルというよりはトランスポータブルというジャンルだと思う。基本的にはデスクトップにおいてPCと組み合わせるのに向いている。外観は質実剛健という感じでシックで良いと思う。
電源投入は上部のボタンではなくボリュームつまみを押し込むことで行う。ボタンは入力モードや表示切り替えに使うものです。デジタル表示は懐かしい感じの赤色LEDを用いている。ボリュームはクリック感があり適度にトルク感があります。
まず付属のケーブルでUSB接続で、M2 Macbook Airに接続して音を聴いてみました。ホータブルで使いたい場合にはスマホをUSB-Cで接続するよりも後述のSDカード音源のモードが良いでしょう。
qdc White Tigerをバッテリーモード、イヤフォンモードのLowゲインで4.4mmで使います。このようにモード切り替えが多いのも特徴です。
XP1とqdc White Tiger
まず音の特徴は暗めで陰影があり厚みのある音色です。帯域バランスも良好です。音の密度感が濃く、力強さが感じられます。
本格的なオーディオの音という感じで、明るさが抑えられてしっとりとした音色がたしかにブリティッシュサウンドという感じがします。
ジャズヴォーカルを聴いていると地下の雰囲気あるステージでしっとりと演奏している感じが伝わってきます。アメリカンサウンドというと低音多めで明るく勢いがある音ですが、それとは対照的で音バランスが良く陰影があります。湿度感がある感じで、80年代とか90年代の英国ブランドの音に似ています。
本機ではまずこうした音色表現に惹かれますが、音性能が極めて高いのも特徴です。
解像感はとても高く、楽器が幾重に重なっていてもその合間に聞こえる演奏者の息を継ぐ音がくっきりと聞こえてきます。またワイドレンジですが、高い音はシャープというだけではなく雑味が少ない音で、伸びやかで整っています。あらさやキツさは少ないですね。低音は出過ぎず少し抑えめですが、解像力が高くウッドベースの鳴りもよく響いて聞こえます。ヴォーカルの囁きも艶かし口感じられます。
単に高級DAC ICを使ったというだけではなく、良いパーツや上質な設計をしている音のように感じられます。電流出力タイプのDAC ICは電圧変換が必要なのでその後の設計が大事ですが、I/V設計に凝っているというのも納得はできる音です。こうした音はある程度の物量投入が必要なので、ボディサイズが大きくなるのはやむを得ないかもしれません。
Mac側でAudio Midi画面を使用して44kHzの曲を96kHzにリサンプリングするとXP1画面でも96kHzにリサンプリングされます。また小さなLEDの色が変わります。リサンプリングによる音の差はわりと大きく感じられる方だと思うので、ソフトウエアでのリサンプリングを積極的に使うのも良いと思います。foobarなどを使用してあげても良いですね。赤色LEDでは768kHzまでロック表示がなされ、Audio Midi画面でも768kHz対応がわかります。
ヘッドフォンモードとイヤフォンモードについて、同じWhite Tigerでイヤフォンモード/Lowゲインからヘッドフォンモード/Lowゲインにすると音調がややきつめに強い感じになります。音量もやや増えます。イヤフォンモード/Lowゲインに戻すと落ち着いた感じに戻るように感じます。
次に同じWhite Tigerでイヤフォンモード/Lowゲインからイヤフォンモード/Midゲインにすると音調は同じで音量が高くなります。これは普通のゲインの切り替えです。ヘッドフォンモード/Lowゲインだと音量もやや増えるがMidゲインほどではありません。それよりもヘッドフォンモードでは音が力強く聞こえるのが特徴です。
このイヤフォンモードとヘッドフォンモードは通常のゲインとは別に特別に調整されたゲイン調整ということのようてずが、詳細についてはわからない。いずれにせよイヤフォンではなく、次のようにヘッドフォンを使用する時にはかなり効果は高くなります。
XP1とHD800
次にゼンハイザーHD800を6.3mm端子で使用してみると、ゲインはやはりHigh位置が必要で、ボリューム位置も上げる必要があります。このときにイヤフォンモードからヘッドフォンモードに変えると音がややこもっていたのが明るく晴れ上がるような感じがします。楽器音の爪弾く音がよりくっきりと聞こえ声も明瞭感が増します。このヘッドフォンモードはヘッドフォンを使う時にとても使えると思います。ジャズボーカルの声も一層明瞭に細かなところまでよく聞こえるようになり、ウッドベースの切れ味も良くなります。
M-Power(DC電源)モード
ここで電源を専用電源を使用してM-Powerモード(DC電源モード)にしてみます。このときボリュームは少し下げておいた方が良いです。
そうすると音は暴力的と言えるほど力強さが増して、ジャズの荒々しさが堪能できるようになります。低域の深みが増し、重みと沈み込みが増します。高音域もより力強い感じがするのでより伸びやかに聞こえます。M-Powerモードではゲインは一段階下げた方が良いように思う。暴力的なパワー感を味わいたいときはゲインはそのままでボリュームを下げると良いと思います。
パワーを上げるにはヘッドフォンモードにする、ゲインを上げる、M-Powerモードにするという3段階があるというわけです。
次にいくつかイヤフォンとヘッドフォンを変えてみました。
ヘッドフォンではUltrasone Signature Pureを使うとHD800よりも解像力等は及ばないが、XP1ではやや抑えめの低域がプラスされるのでXP1をよりヘビーなサウンドで楽しみたいという方はこうしてヘッドフォンの方を変えてみると良いと思う。やはりM-Powerモードでヘッドフォンモードがお勧め。
XP1と3T-154
イヤフォンでは3T-154を使うとより低音を効かせた迫力あるサウンドを楽しむことができます。3T-154ではゲインはlowで良いがヘッドフォンモードを使うことをお勧めします。よりパワフルな力感がありクリアな音が楽しめます。ダイナミック型はヘッドフォンモードが向いているかもしれません。またM-Powerモードでもさらに音の圧力を高めるように思います。
XP1とProjectM
またDITA Project MでもイヤフォンモードではマルチBAらしい端正な音を楽しめますが、ヘッドフォンモードにすると力強くダイナミックドライバーの側面が生きてきます。ヘッドフォンモードはハイブリッドタイプイヤフォンでも効果的に使えると思います。M-Powerモードでは一層ドラムスのキックの力感がまし、声に厚みが加わります。
Bluetoothレシーバーモード(AACで受信)
次にWhite Tigerをイヤフォンモード/LowゲインでBluetoothレシーバーモード(BT)を試してみた。スマホはiPhone 15 Pro MAXです。
USB接続に比べると音質はさすがに落ちてしまうところもわかってしまいますが、そう悪くはない。音源が良いと明瞭感高く楽しめ、手軽に使うことができます。ストリーミングを楽しみたいときは活用することができます。
Eddictアプリの画面
次にローカル音源の再生を試してみます。これはShanling EH3などに搭載されているものと似た機能です。
まずモードをTF(SDカードのこと)にします。EddictPalyerアプリのSyncLinkの項目でONIX XP1を選択します。この時にBluetoothレシーバーとしてXP1を選択していると接続されないので、Bluetoothレシーバーとして使用しているときはいったん解除します。MicroSDカードのフォーマットはFAT32またはexFATで、音源ファイルはMicroSDカードの直下に置く必要があります。
アプリのSyncLinkから接続したら次にファイルのスキャンを行うと、これで再生画面から音楽が見えるようになります。
多少持ち運びには重いが、以前書いたShanling H5のようにスマホをリモートUIにしたDAPのように使用することができます。音質はワイヤレスではないので極めて高く、もちろんハイレゾ再生も可能です。BTモードでBluetoothレシーバーとして使用するよりも音質はずっと高いので、単体でポータブルで使用するにはこのモードがおすすめです。
またEddict Playerから操作するとDACフィルターも変えることができるようです。
まとめ
XP1は二つの点から選択のポイントがあります。一つは音色が独特なことで少し古めのオーディオらしい音色を好む方にお勧めです。もう一点は機能性で、M-Powerモード、ヘッドフォンモードなど独自機能も有効に働いて音のバリエーションを増して、機材の適合性も上げています。
XP1は高品位なサウンドで持ち運びには大きいですがデスクトップには好適です。M-Powerモードを活用するにもデスクトップが良いと思う。さまざまなハイエンドイヤフォンやヘッドフォンを使いこなす上級ユーザー向けの製品ですが、もう一つの面もあります。今回触れませんでしたが、UAC1.0対応なのでゲーム機などにも活用でき、ベイヤーのヘッドホンなどのゲームユーザーに好まれる高性能ヘッドフォンを使用した最近の高音質ゲーミングの潮流にも使えるでしょう。
XP1は古いグラスに新しいワインが入っているという趣向の趣味性の高いオーディオ製品だと言えるでしょう。
Music TO GO!
2024年06月25日
TIDALがMQA配信から撤退、すべてFLACにという記事を執筆
アスキーにTIDALがMQA配信から撤退、すべてFLACにという記事を執筆しました。
https://ascii.jp/elem/000/004/205/4205711/
これはHDtracksがMQAを配信開始するという記事と関連します。
https://ascii.jp/elem/000/004/205/4205711/
これはHDtracksがMQAを配信開始するという記事と関連します。
HDTracksがMQA技術を使ったストリーミング配信開始するという記事を執筆
アスキーにHDTracksがMQA技術を使ったストリーミング配信開始するという記事を執筆しました。
https://ascii.jp/elem/000/004/205/4205712/
これはもうひとつのTIDALがMQA配信停止という記事と関係します。
https://ascii.jp/elem/000/004/205/4205712/
これはもうひとつのTIDALがMQA配信停止という記事と関係します。
2024年06月17日
iBassoのハイエンド・スティックDAC「DC-Elite」の記事をPhilewebに執筆
iBassoのハイエンド・スティックDAC「DC-Elite」の記事をPhilewebに執筆しました。
「DC-Elite」はDita Perpetuaを鳴らすことができるハイエンドスティックDACです。またあまり書かれることのなかったロームの音楽用DAC IC「BD34301EKV」についても詳細に書いています。興味のある方はぜひご覧ください。
https://www.phileweb.com/review/article/202406/15/5621.html
「DC-Elite」はDita Perpetuaを鳴らすことができるハイエンドスティックDACです。またあまり書かれることのなかったロームの音楽用DAC IC「BD34301EKV」についても詳細に書いています。興味のある方はぜひご覧ください。
https://www.phileweb.com/review/article/202406/15/5621.html
2024年06月14日
完成されたアナログサウンド、真空管搭載のフラッグシップAstell & Kern 「A&Ultima SP3000T」レビュー
Astell & Kernの最新のフラッグシップ「A&Ultima SP3000T」は端的にいうとこれまでの「A&Ultima SP3000」を真空管バージョンにしたものです。しかしながら詳しく見ていくと、単なる真空管バージョンというわけではありません。
SP3000TとCampfire Fathom
特徴
真空管を採用したということは、最近のAstell & Kernの追い求めている「アナログサウンド」への直接的なアプローチとも言えるでしょう。Astell & KernにおいてはSP2000Tで真空管の搭載を試行したのですが、これはコルグのNutubeという言わば「真空管の原理を応用した新しい電子デバイス」を使用していました。それに対してSP3000Tではレイセオン社製のJAN6418という本物の昔の真空管が搭載されています。こうした真空管は大量に生産されたので現在でも新古ストック(New old stock、NOS)として未使用状態で入手可能です。これは他の一般的な真空管アンプにおいても同じです。いわば本物の昔のビンテージ真空管が搭載されているわけです。
真空管はサイズでいくつかのタイプに分かれますが、JAN6418はもっとも小さいサブミニチュア管というタイプで昔の小型の軍用品に使用されていたものです。この種の昔の真空管は製造ばらつきが大きいのが難ではありますがAstell & Kernではそのマッチングも測定により入念に行っているということです。左右のマッチングも一般的なビンテージ真空管では重要なポイントです。
JAN6418に関しては現役時代は主に通信機用に使用されていたものです。つまり元から音声用の真空管なので音が良い真空管って言っても良いでしょう。真空管は何を使っても好みの世界ではありますが、基本的には音声用のものを使用するのが良いということにされていて、その代表例はEL34です。JAN6418もその点ではよくオーディオ機器に使われる真空管です。特にJAN6418は小型ながら三極管が二個入っているので一個で三極管を使用したステレオ増幅が可能です。そのためSP3000TではJAN6418が二個搭載されているのでバランス増幅が可能なわけです。三極管はシンプルなので小出力ですが音が良いことで知られていて、音が良いことで定評ある300Bも三極管です。
SP3000Tの真空管ノイズ対策
また真空管にはマイクロフォニックス問題という固有の問題があります。これは真空管アンプ固有の問題で、一般的には指で軽く真空管を叩くとキーンというノイズが生じます。振動でノイズが生じる)に対してもシリコンダンパーやモジュール構造を取り入れた衝撃低減対策を施している。これはSP2000Tの経験もあるのでしょう。
また真空管のTube Currentという設定項目を可変することでJAN6418真空管内のプレート電圧を調整できます。Astell & Kernによると設定を高くすると音が増幅され、密度が増し、低域が豊かになるということです。ただし真空管の内部電圧が高くなり増幅率が上がると、真空管固有のノイズもある程度増幅されてしまいます。 従って、必ずしも高い設定がベストとは言えないということです。これは後でTubeモードのインプレ時に再度書きます。
SP3000Tの第二の特徴はハウジング素材です。Astell & Kernのフラッグシップはステンレススチールやカッパーなど筐体の素材にこだわって音質を向上させてきましたが、SP3000Tではまた新しいアプローチをしています。
SP3000Tのハウジングは316Lステンレススチールの上に導電性の高い純銀メッキを施しています。実際には酸化しないように直接空気に触れないような特殊多層コーティングをさらに施しています。SP3000では高級ステンレスの904Lステンレスを中心に摩耗に強いハードニング加工や汚れから守るコーティングを施したものでしたが、この銀コート線材のような純銀メッキというアプローチもなかなか面白いものです。やはり導電特性が良いということでは銀になりますからね。
今まではSS(ステンレススチール)モデルとか、カッパーモデルとかありましたが、言うなればSP3000Tは銀コートステンレススチール・モデルと言えるかもしれません。あるいはSP3000Tシルバーでも良いかもしれません。
この違いというのは出ていると思います。これは後のOPモードのところで書きます。
AK4191EQとAK4499EX
デジタル部ではSP3000Tと同様にAKMのフラッグシップDAC ICである「AK4191EQ」と「AK4499EX」のペアをデュアル搭載したフラッグシップDAPらしいDAC構成を採用しています。この点もSP2000とDAC部分が大きく違うSP2000Tとは異なります。
AK4191EQとAK4499EXはデジタル処理を専門に行うというAK4191と、アナログ信号を専門的に扱うというAK4499EXの二つのチップから構成されています。いわばデジタル部とアナログ部を物理的に切り離すことが可能となりました。この形式の最大の利点は高速でスイッチングするというノイズの塊であるデジタル部と、ノイズを嫌うアナログ部の相反する二つを根本的に切り離したということです。そのためAK4191では従来のDACのオーバーサンプリングが8倍か16倍程度のところを256倍のオーバーサンプリングが可能です。これはFPGAなどを使ったディスクリートDACなみであり、従来のICチップDACからは一線を画した能力といえます。このメリットはSN比がとても高くなるということです。いわばAK4191とAK4499EXの組み合わせは、従来のDACチップを超えてディスクリートとチップによるソリューションの折衷案的なレベルに達しているわけです。
SP3000Tブロック図
一方でSP3000では事実上バランス駆動DAPとシングルエンドDAPが一つの筐体に入る構成でしたが、SP3000Tではそのシングルエンド専用DAP部分がなく、その代わりに本格的な真空管アンプが別に搭載されているということになります。
実はそれだけではなくプロック図をよく見ると、SP3000では一つのAK4191EQで二つのAK4499EXが接続されていたのですが、SP3000TではAK4499EXそれぞれにAK4191EQが専用のように搭載されています。仕様のページではこれをデュアルモジュレーターと書いています。これはおそらく性能をさらに向上させるでしょう。
SP3000TではSP3000のシングルエンド専用部分がなくなった代わりに真空管が入っただけではなくデジタル部も違っているわけです。
そのアンプ部分に関してはOPアンプモードとTUBE(真空管)モード、そしてその両方を混ぜたハイブリッドモードというSP2000Tに似たシステムが搭載されています。ハイブリッドモードではOPアンプモードとTUBEモードの混合する度合いを混ぜることができるというAstell & kern独自のシステムを再び搭載しています。ハイブリッドの利点はSP2000Tの時も書きましたが、双方を加算しているせいか力強さが一層感じられるということです。
ちなみにSP3000との差異としてはSoCが最新であるということもあります。SoCは特にOpenAPPの動作において重要です。SP3000Tでは最新なのでSnapdragon 6125が採用されています。これはSP3000のSnapdragon 665と同じミドルクラスのSoC(CPU)ですが、より新しい分で性能が高いと言えます。
SP3000にはなかったユニークな機能としてはディスプレイが昔のアンプやレコーダーのようなVUメーターがあります。VUメーターは、音声信号の電圧レベルを表示し、音量の測定と調整を支援するもので、3種類あります。これはUIのボタンを押すと起動できます。
SP3000との共通機能としてはDARが搭載されています。これはAK4137EQを使用したハードウエアによるアップサンプリング機能です。DSDにもPCMにも変換できる機能でいまやAstell & Kernではお馴染みの機能です。SP3000Tでは音がアナログ的な点をポイントにしていることから、DSDに変換する機能が特に効果的に思えます。
実のところAstell & kernのDAPの特徴は継ぎ足されて機能が拡張されてきた基本ソフトウエアがそのまま使えるという点があります。Roonとの連携やBluetooth受信機として使うなど豊富な機能はそのまま引き継いでいます。
インプレッション
SP3000TはSP3000同様にパッケージも豪華なものです。内箱は木製で、その中にケースなども梱包されています。
Astell & KernのフラッグシップとしてSP3000Tには豪華な本革ケースが付属します。これはフランス製ゴートスキンレザー製で、カラーリングはシックなグリーンです。このケースは、南フランスのタルンに位置したALRAN(アルラン)社製で、100年以上にわたって皮革製造を行ってきた歴史ある革製造業者ということです。
SP3000Tの筐体はSP3000と似て、とても美しいものです。
筐体の差異は指紋がつきにくいコーティングがされている点と、ボリューム周りのデザインが異なります。またSP3000ではボリュームと電源ボタンが共用されていましたが、いささか使いにくいものでした。SP3000Tでは筐体の上面にKann Ultraのような指先が少し凹んだタイプの電源ボタンがつきました。
ちなみにコンコンと叩いてもマイクロフォニックノイズがないのはSP2000Tと同じです。対策がなされていないと、キーンというノイズが乗ってしまいます。
SP3000とSP300T(下)
ただしSP3000より再生時に暖かくなります。のちに書きますがTUBEモードの時は筐体が熱くなってきたら「聴きごろ」になったと思っても良いかもしれません。
またハード操作ボタンに第4ボタンが増えたのですが、これは長押しするとAMPモードを呼び出すことができるボタンのようです。
SP3000Tの特徴はアンプのモードが3つの分かれていることです。オペアンプを使用するOPモード、真空管を使用するTUBEモード、そしてそれらを加算できるハイブリッドモードです。
1 OPアンプモード
OPモードではSP3000同様にとても透明感が高く音の歯切れが良いのが特徴です。正確でスピードがあり端正なサウンドです。特に楽器音は普通のDAPとは一線を画する音質レベルの高さが感じられます。ここはAKM「AK4191EQ」と「AK4499EX」の効果がSP3000同様に感じられます。
SP3000TとProject M
基本的にOPモードで聴くと音はSP3000に似ています。しかしじっくりと聴き比べるとSP3000Tの方がOPモードでもより音が洗練されていて少し暖かみがあります。少し厚みがあって豊かな音に聞こえます。前述のようにSP3000とはAK4191EQ の搭載の仕方がやや異なり、OPアンプモード時の回路設計が同じかどうかまではわかりません。このためOPモードでもまったく同じではありませんが、以前のフラッグシップ機の音傾向の違いから考えると、これはシャーシの銀材質によるものが大きいように思います。いままでのAstell & Kernのステンレスボディとカッパーボディでもこうした差はありました。音的にはステンレスボディよりもカッパーボディに近いように思います。
比較するとSP3000の方が硬質感があり、ステンレスボディらしいかちっとした音です。これはいままでのA&KフラッグシップのSSモデルの音傾向に沿っています。アコースティック楽器の音がやはり違いがわかりやすく、SP3000Tの方がより音鳴りが豊かで厚みがあるオーディオらしい音。真空管は切っていても、ベースのSP3000Tの音傾向がそのような感じです。ですからSP3000とSP3000Tの音の差は単に真空管の違いというだけではないと思います。OPアンプモードでもSP3000Tの方がリスニング寄りで、SP3000はモニター的という感じを受けます。ただしSN感とか解像力とか、そうした性能的なものはほぼ同じです。音色の違いですね。
2 TUBEモード
やはりSP3000Tの白眉は真空管モード(TUBEモード)です。
まずポイントは真空管モードではスイッチオンした時よりも温まってからの方が良い音になるので少しウォームアップ(暖機運転)してから使った方が良いということです。あまり曲ごとに切り替えるよりはずっと真空管モードで使った方が良いと思う。またTube Current値も電源オンの時点では違いが少ないと感じるかもしれませんが、少し通電して再生させてからだと違いがよくわかるようになります。試してみると30分ではやや足らず硬さが残り、一時間程度はウォームアップした方が良いと感じます。毎回聞く前に少しエージングする感覚です。
この辺の感覚はSP2000Tではあまり感じなかったので、本物のビンテージ真空管を使用している感覚ではあると思う。また,そうしたところに手間を遣いながら使うと「本物の」を使用している感じが高まると思う。
SP3000TとPathfinder
温まってから聴くと滑らかで温かみがある真空管アンプの音が堪能できます。しかし、Perpetuaのような先鋭的なイヤホンで聴くとかなり細かな音が聞くことができ、またとても音が整っています。真空管というとわざと歪み感を出すために使ったりしますが、SP3000Tにおいては暖かみがあると言っても滑らかという方が正しいと思う。つまりSP3000の低ノイズ・高性能を保ったまま音が極めて滑らかという不思議な感覚があります。おそらくはPA10でのA級増幅やSE300でのR2R DACの延長上に、このSP3000Tのビンテージ真空管使用があると思います。実際に真空管モードで聴いているとA級増幅で聞いているような、とても滑らかで高精細だけど柔らかい感覚が味わえます。それでいて楽器音は先鋭的ですが、先鋭的と言っても滑らかなのでキツさは少ないわけです。また音色自体はそれほど暖かみはつかずに着色感が少ないのもポイントです。このためによりアコースティック楽器の本来の音のような響きが楽しめます。解像力の高さと相まってホールに響く音もより豊かに聴こえ、女性ヴォーカルが美しく感じられます。
つまり真空管と言ってもノスタルジックな古っぽい甘い音ではないけれども、A&Kは現代的なアナログの音を追求しているように思います。
SP3000TとPerpetua
特にPathfinderやProject Mのような高性能のハイブリッドイヤフォンだとTubeとOPアンプモードの差はかなり大きく感じられます。Pathfinderでは圧倒的な情報量と迫力をさらに楽しめ、Project Mでは美音が堪能できます。
真空管の電流値Tube Currentを変更するとHighではより骨太の濃い音になり、Lowでは比較するとややおとなしめの音になります。Midはその中間です。好みとしてはHighの方がより激しい音には合うと思います。そして真空管のイメージする滑らかで落ち着いた音というのはLowモードの方が良いです。長い時間聴きたい時はLowの方が聴き疲れは少ないですね。でも実はMidが良い感じです。特にPerpetuaなど解像力が高い時はHighだときついが、Lowだと物足りないという場合もあり、Midが意外と良いバランスになっています。
ただTubeモードがメインですが、Tubeモードだと電池も持ちはかなり少なくなると思います。だいたいフル充電で6-7時間くらい。SP2000Tの時はそれほど差はなかったように思いますが、やはりここは本物ビンテージ真空管を搭載しているゆえかと思います。
3 ハイブリッドモード
SP3000TにもSP2000Tと同様にハイブリッドモードがあります。これはOPモードと真空管モードの音を混ぜるもので、混合度合いも5段階で調整できます。
SP3000TとPathfinder
ハイブリッドモードにすると中間の音色になるとともにより音の歯切れが高くなります。真空管モードやOPモードのみよりもハイブリッドモードの方が手拍子の音やギターの切れ味がより鋭く感じます。これはちょっと驚くことでSP3000のさらに上があるのかと感心するほどです。
ハイブリッドモードでロックなど躍動的な音楽を聴くと、なぜロックファンに真空管が好まれるかがわかるでしょう。
4 アンプモードまとめ
このようにSP3000TではSP2000Tと同様に3つのアンプモードがありますが、それぞれの特色がより際立っています。
OPモードではSP3000なみの音質ながら音により厚みがあります。Tubeモードでは滑らかな真空管らしさが堪能できるとともに3つのCurrentモードでさらに調整ができます。ハイブリッドモードではよりパワフルなサウンドが楽しめます。
DARに関してはSP3000TのTUBEモードではDSDモードの方がより音がなめらかに聞こえるので向いています。
DAR使用すると音質レベルは一段上がるので、単に高音質というよりも圧倒的なサウンドという感じで音に圧倒される。特にハイブリッドモードだと一層音の迫力があります。楽器の音色を楽しむならばTubeモードの方が良いかもしれませんが、アンサンブルやバンドサウンドなどの合奏曲を楽しむときにはハイブリッドがおすすめです。
イヤフォン
SP3000のときにはマルチBAのハイエンドイヤフォンが最も合うように思いましたが、SP3000Tでは真空管が入っていることもありダイナミックドライバーが搭載されているイヤフォンが良いように思います。しかしながらSP3000同等の音性能があるので、ハイブリッドタイプが良いと思います。
まずハイエンドではPathfinderです。高精細かつ迫力があり、滑らかな音空間に圧倒されます。また求めやすい価格帯だとProject Mがいいですね。TubeモードでのCurrentの違いもはっきりわかるような性能も十分にありながら音の美しさがTubeモードで引き立ちます。
シングルダイナミックではやはり高性能があった方が良いので、やはりPerpetuaですね。高精細さとダイナミックドライバーの暖かみがとても美しくマッチし美音を奏でます。音空間の広大さもあいまって壮大で美しい音世界を堪能できます。PerpetuaでTUBEモードを聴くと、SP3000Tの音は真空管の温かみがしっかりと感じられると同時に、低ノイズを極めた最近のAstell & Kernサウンドが見事に融合していることがわかります。聴きやすく、かつ高精細な音世界です。
SP3000TとFathom
特にPerpetuaとPathfinderでは圧倒されるような音楽が楽しめます。
マルチBAでおすすめはCampfire Audioの最新作Fathomです。FathomはCampfire Audioの志向するシンプルイズベストの究極の形の一つで、低ノイズのSP3000との相性がよくSP3000Tともあいます。SP3000Tでは、そのピュアで透明でいて滑らかで温もりを感じられるな音世界に惹かれると思います。
まとめ
端的に書くとモニター的に使いたい時はSP3000、リスニング寄りで使いたい時はSP3000Tと結論づけることも可能です。しかしSP3000Tは単なるSP3000の真空管バージョンかというとそうではない点もあります。それはDACの使い方の違いや筐体材質の違いもありますが、もっとA&Kの開発戦略の変化としての意味も含んでいると思います。つまりSP3000からSP3000Tのこの間のA&Kの変化です。
Astell & KernはSP3000に至る前には低ノイズ化を一貫したテーマとして取り組んでいましたが、SP3000でその一つの到達点に辿り着くと、次はSE300でのディスクリートR2R搭載やPA10でのA級アンプの試行などアナログの音という一貫したテーマに取り組んできました。
アナログの音というと懐古的で甘い音をイメージするかもしれません。しかしアナログの音は実は高性能なんです。以前オーディオフェアで試聴室に行く前に部屋から漏れてくる音が極めて引き締まっていたのですごいDACを使ってるんだと思ったら、中に入ってみたらLINNのLP12だったということがあります。実のところ高性能のLINN LP12で聴くLPレコードの音はジッターもないので極めて高音質でした。デジタルとアナログの両方とも良い音は出せますが、その違いはアナログの方がより物量を投入する必要があるということです。
Astell & Kernの目指すアナログサウンドは単にノスタルジックな音ではなく、同じくAstell & Kernの目指している低ノイズ志向ともあいまって、現代的な高音質を目指したアナログサウンドだと思います。ただし現代でのソースはデジタル音源だから、それなりの工夫が必要です。それを志向しているのが最近のAstell & Kernの音ではないとか思います。
そうしたアナログサウンドへの取り組みの成果を取り入れてSP3000と融合させたのが、SP3000Tになると思います。つまりSP3000Tは単なるSP3000Tの真空管バージョンというよりも、SP3000からのA&Kの進化を取り入れたものです。SP3000TではSE300やPA10の音をさらに昇華させたようなサウンドも感じられます。低ノイズ化とアナログの音という二つのテーマを取り込んで、また一つの到達点に辿り着いたのがSP3000Tと言えるでしょう。
そしてAstell & Kernは次にどういうテーマに取り組んでいくのか、SP3000Tを聴きながらふとそうした考えに思いを巡らせます。
SP3000TとCampfire Fathom
特徴
真空管を採用したということは、最近のAstell & Kernの追い求めている「アナログサウンド」への直接的なアプローチとも言えるでしょう。Astell & KernにおいてはSP2000Tで真空管の搭載を試行したのですが、これはコルグのNutubeという言わば「真空管の原理を応用した新しい電子デバイス」を使用していました。それに対してSP3000Tではレイセオン社製のJAN6418という本物の昔の真空管が搭載されています。こうした真空管は大量に生産されたので現在でも新古ストック(New old stock、NOS)として未使用状態で入手可能です。これは他の一般的な真空管アンプにおいても同じです。いわば本物の昔のビンテージ真空管が搭載されているわけです。
真空管はサイズでいくつかのタイプに分かれますが、JAN6418はもっとも小さいサブミニチュア管というタイプで昔の小型の軍用品に使用されていたものです。この種の昔の真空管は製造ばらつきが大きいのが難ではありますがAstell & Kernではそのマッチングも測定により入念に行っているということです。左右のマッチングも一般的なビンテージ真空管では重要なポイントです。
JAN6418に関しては現役時代は主に通信機用に使用されていたものです。つまり元から音声用の真空管なので音が良い真空管って言っても良いでしょう。真空管は何を使っても好みの世界ではありますが、基本的には音声用のものを使用するのが良いということにされていて、その代表例はEL34です。JAN6418もその点ではよくオーディオ機器に使われる真空管です。特にJAN6418は小型ながら三極管が二個入っているので一個で三極管を使用したステレオ増幅が可能です。そのためSP3000TではJAN6418が二個搭載されているのでバランス増幅が可能なわけです。三極管はシンプルなので小出力ですが音が良いことで知られていて、音が良いことで定評ある300Bも三極管です。
SP3000Tの真空管ノイズ対策
また真空管にはマイクロフォニックス問題という固有の問題があります。これは真空管アンプ固有の問題で、一般的には指で軽く真空管を叩くとキーンというノイズが生じます。振動でノイズが生じる)に対してもシリコンダンパーやモジュール構造を取り入れた衝撃低減対策を施している。これはSP2000Tの経験もあるのでしょう。
また真空管のTube Currentという設定項目を可変することでJAN6418真空管内のプレート電圧を調整できます。Astell & Kernによると設定を高くすると音が増幅され、密度が増し、低域が豊かになるということです。ただし真空管の内部電圧が高くなり増幅率が上がると、真空管固有のノイズもある程度増幅されてしまいます。 従って、必ずしも高い設定がベストとは言えないということです。これは後でTubeモードのインプレ時に再度書きます。
SP3000Tの第二の特徴はハウジング素材です。Astell & Kernのフラッグシップはステンレススチールやカッパーなど筐体の素材にこだわって音質を向上させてきましたが、SP3000Tではまた新しいアプローチをしています。
SP3000Tのハウジングは316Lステンレススチールの上に導電性の高い純銀メッキを施しています。実際には酸化しないように直接空気に触れないような特殊多層コーティングをさらに施しています。SP3000では高級ステンレスの904Lステンレスを中心に摩耗に強いハードニング加工や汚れから守るコーティングを施したものでしたが、この銀コート線材のような純銀メッキというアプローチもなかなか面白いものです。やはり導電特性が良いということでは銀になりますからね。
今まではSS(ステンレススチール)モデルとか、カッパーモデルとかありましたが、言うなればSP3000Tは銀コートステンレススチール・モデルと言えるかもしれません。あるいはSP3000Tシルバーでも良いかもしれません。
この違いというのは出ていると思います。これは後のOPモードのところで書きます。
AK4191EQとAK4499EX
デジタル部ではSP3000Tと同様にAKMのフラッグシップDAC ICである「AK4191EQ」と「AK4499EX」のペアをデュアル搭載したフラッグシップDAPらしいDAC構成を採用しています。この点もSP2000とDAC部分が大きく違うSP2000Tとは異なります。
AK4191EQとAK4499EXはデジタル処理を専門に行うというAK4191と、アナログ信号を専門的に扱うというAK4499EXの二つのチップから構成されています。いわばデジタル部とアナログ部を物理的に切り離すことが可能となりました。この形式の最大の利点は高速でスイッチングするというノイズの塊であるデジタル部と、ノイズを嫌うアナログ部の相反する二つを根本的に切り離したということです。そのためAK4191では従来のDACのオーバーサンプリングが8倍か16倍程度のところを256倍のオーバーサンプリングが可能です。これはFPGAなどを使ったディスクリートDACなみであり、従来のICチップDACからは一線を画した能力といえます。このメリットはSN比がとても高くなるということです。いわばAK4191とAK4499EXの組み合わせは、従来のDACチップを超えてディスクリートとチップによるソリューションの折衷案的なレベルに達しているわけです。
SP3000Tブロック図
一方でSP3000では事実上バランス駆動DAPとシングルエンドDAPが一つの筐体に入る構成でしたが、SP3000Tではそのシングルエンド専用DAP部分がなく、その代わりに本格的な真空管アンプが別に搭載されているということになります。
実はそれだけではなくプロック図をよく見ると、SP3000では一つのAK4191EQで二つのAK4499EXが接続されていたのですが、SP3000TではAK4499EXそれぞれにAK4191EQが専用のように搭載されています。仕様のページではこれをデュアルモジュレーターと書いています。これはおそらく性能をさらに向上させるでしょう。
SP3000TではSP3000のシングルエンド専用部分がなくなった代わりに真空管が入っただけではなくデジタル部も違っているわけです。
そのアンプ部分に関してはOPアンプモードとTUBE(真空管)モード、そしてその両方を混ぜたハイブリッドモードというSP2000Tに似たシステムが搭載されています。ハイブリッドモードではOPアンプモードとTUBEモードの混合する度合いを混ぜることができるというAstell & kern独自のシステムを再び搭載しています。ハイブリッドの利点はSP2000Tの時も書きましたが、双方を加算しているせいか力強さが一層感じられるということです。
ちなみにSP3000との差異としてはSoCが最新であるということもあります。SoCは特にOpenAPPの動作において重要です。SP3000Tでは最新なのでSnapdragon 6125が採用されています。これはSP3000のSnapdragon 665と同じミドルクラスのSoC(CPU)ですが、より新しい分で性能が高いと言えます。
SP3000にはなかったユニークな機能としてはディスプレイが昔のアンプやレコーダーのようなVUメーターがあります。VUメーターは、音声信号の電圧レベルを表示し、音量の測定と調整を支援するもので、3種類あります。これはUIのボタンを押すと起動できます。
SP3000との共通機能としてはDARが搭載されています。これはAK4137EQを使用したハードウエアによるアップサンプリング機能です。DSDにもPCMにも変換できる機能でいまやAstell & Kernではお馴染みの機能です。SP3000Tでは音がアナログ的な点をポイントにしていることから、DSDに変換する機能が特に効果的に思えます。
実のところAstell & kernのDAPの特徴は継ぎ足されて機能が拡張されてきた基本ソフトウエアがそのまま使えるという点があります。Roonとの連携やBluetooth受信機として使うなど豊富な機能はそのまま引き継いでいます。
インプレッション
SP3000TはSP3000同様にパッケージも豪華なものです。内箱は木製で、その中にケースなども梱包されています。
Astell & KernのフラッグシップとしてSP3000Tには豪華な本革ケースが付属します。これはフランス製ゴートスキンレザー製で、カラーリングはシックなグリーンです。このケースは、南フランスのタルンに位置したALRAN(アルラン)社製で、100年以上にわたって皮革製造を行ってきた歴史ある革製造業者ということです。
SP3000Tの筐体はSP3000と似て、とても美しいものです。
筐体の差異は指紋がつきにくいコーティングがされている点と、ボリューム周りのデザインが異なります。またSP3000ではボリュームと電源ボタンが共用されていましたが、いささか使いにくいものでした。SP3000Tでは筐体の上面にKann Ultraのような指先が少し凹んだタイプの電源ボタンがつきました。
ちなみにコンコンと叩いてもマイクロフォニックノイズがないのはSP2000Tと同じです。対策がなされていないと、キーンというノイズが乗ってしまいます。
SP3000とSP300T(下)
ただしSP3000より再生時に暖かくなります。のちに書きますがTUBEモードの時は筐体が熱くなってきたら「聴きごろ」になったと思っても良いかもしれません。
またハード操作ボタンに第4ボタンが増えたのですが、これは長押しするとAMPモードを呼び出すことができるボタンのようです。
SP3000Tの特徴はアンプのモードが3つの分かれていることです。オペアンプを使用するOPモード、真空管を使用するTUBEモード、そしてそれらを加算できるハイブリッドモードです。
1 OPアンプモード
OPモードではSP3000同様にとても透明感が高く音の歯切れが良いのが特徴です。正確でスピードがあり端正なサウンドです。特に楽器音は普通のDAPとは一線を画する音質レベルの高さが感じられます。ここはAKM「AK4191EQ」と「AK4499EX」の効果がSP3000同様に感じられます。
SP3000TとProject M
基本的にOPモードで聴くと音はSP3000に似ています。しかしじっくりと聴き比べるとSP3000Tの方がOPモードでもより音が洗練されていて少し暖かみがあります。少し厚みがあって豊かな音に聞こえます。前述のようにSP3000とはAK4191EQ の搭載の仕方がやや異なり、OPアンプモード時の回路設計が同じかどうかまではわかりません。このためOPモードでもまったく同じではありませんが、以前のフラッグシップ機の音傾向の違いから考えると、これはシャーシの銀材質によるものが大きいように思います。いままでのAstell & Kernのステンレスボディとカッパーボディでもこうした差はありました。音的にはステンレスボディよりもカッパーボディに近いように思います。
比較するとSP3000の方が硬質感があり、ステンレスボディらしいかちっとした音です。これはいままでのA&KフラッグシップのSSモデルの音傾向に沿っています。アコースティック楽器の音がやはり違いがわかりやすく、SP3000Tの方がより音鳴りが豊かで厚みがあるオーディオらしい音。真空管は切っていても、ベースのSP3000Tの音傾向がそのような感じです。ですからSP3000とSP3000Tの音の差は単に真空管の違いというだけではないと思います。OPアンプモードでもSP3000Tの方がリスニング寄りで、SP3000はモニター的という感じを受けます。ただしSN感とか解像力とか、そうした性能的なものはほぼ同じです。音色の違いですね。
2 TUBEモード
やはりSP3000Tの白眉は真空管モード(TUBEモード)です。
まずポイントは真空管モードではスイッチオンした時よりも温まってからの方が良い音になるので少しウォームアップ(暖機運転)してから使った方が良いということです。あまり曲ごとに切り替えるよりはずっと真空管モードで使った方が良いと思う。またTube Current値も電源オンの時点では違いが少ないと感じるかもしれませんが、少し通電して再生させてからだと違いがよくわかるようになります。試してみると30分ではやや足らず硬さが残り、一時間程度はウォームアップした方が良いと感じます。毎回聞く前に少しエージングする感覚です。
この辺の感覚はSP2000Tではあまり感じなかったので、本物のビンテージ真空管を使用している感覚ではあると思う。また,そうしたところに手間を遣いながら使うと「本物の」を使用している感じが高まると思う。
SP3000TとPathfinder
温まってから聴くと滑らかで温かみがある真空管アンプの音が堪能できます。しかし、Perpetuaのような先鋭的なイヤホンで聴くとかなり細かな音が聞くことができ、またとても音が整っています。真空管というとわざと歪み感を出すために使ったりしますが、SP3000Tにおいては暖かみがあると言っても滑らかという方が正しいと思う。つまりSP3000の低ノイズ・高性能を保ったまま音が極めて滑らかという不思議な感覚があります。おそらくはPA10でのA級増幅やSE300でのR2R DACの延長上に、このSP3000Tのビンテージ真空管使用があると思います。実際に真空管モードで聴いているとA級増幅で聞いているような、とても滑らかで高精細だけど柔らかい感覚が味わえます。それでいて楽器音は先鋭的ですが、先鋭的と言っても滑らかなのでキツさは少ないわけです。また音色自体はそれほど暖かみはつかずに着色感が少ないのもポイントです。このためによりアコースティック楽器の本来の音のような響きが楽しめます。解像力の高さと相まってホールに響く音もより豊かに聴こえ、女性ヴォーカルが美しく感じられます。
つまり真空管と言ってもノスタルジックな古っぽい甘い音ではないけれども、A&Kは現代的なアナログの音を追求しているように思います。
SP3000TとPerpetua
特にPathfinderやProject Mのような高性能のハイブリッドイヤフォンだとTubeとOPアンプモードの差はかなり大きく感じられます。Pathfinderでは圧倒的な情報量と迫力をさらに楽しめ、Project Mでは美音が堪能できます。
真空管の電流値Tube Currentを変更するとHighではより骨太の濃い音になり、Lowでは比較するとややおとなしめの音になります。Midはその中間です。好みとしてはHighの方がより激しい音には合うと思います。そして真空管のイメージする滑らかで落ち着いた音というのはLowモードの方が良いです。長い時間聴きたい時はLowの方が聴き疲れは少ないですね。でも実はMidが良い感じです。特にPerpetuaなど解像力が高い時はHighだときついが、Lowだと物足りないという場合もあり、Midが意外と良いバランスになっています。
ただTubeモードがメインですが、Tubeモードだと電池も持ちはかなり少なくなると思います。だいたいフル充電で6-7時間くらい。SP2000Tの時はそれほど差はなかったように思いますが、やはりここは本物ビンテージ真空管を搭載しているゆえかと思います。
3 ハイブリッドモード
SP3000TにもSP2000Tと同様にハイブリッドモードがあります。これはOPモードと真空管モードの音を混ぜるもので、混合度合いも5段階で調整できます。
SP3000TとPathfinder
ハイブリッドモードにすると中間の音色になるとともにより音の歯切れが高くなります。真空管モードやOPモードのみよりもハイブリッドモードの方が手拍子の音やギターの切れ味がより鋭く感じます。これはちょっと驚くことでSP3000のさらに上があるのかと感心するほどです。
ハイブリッドモードでロックなど躍動的な音楽を聴くと、なぜロックファンに真空管が好まれるかがわかるでしょう。
4 アンプモードまとめ
このようにSP3000TではSP2000Tと同様に3つのアンプモードがありますが、それぞれの特色がより際立っています。
OPモードではSP3000なみの音質ながら音により厚みがあります。Tubeモードでは滑らかな真空管らしさが堪能できるとともに3つのCurrentモードでさらに調整ができます。ハイブリッドモードではよりパワフルなサウンドが楽しめます。
DARに関してはSP3000TのTUBEモードではDSDモードの方がより音がなめらかに聞こえるので向いています。
DAR使用すると音質レベルは一段上がるので、単に高音質というよりも圧倒的なサウンドという感じで音に圧倒される。特にハイブリッドモードだと一層音の迫力があります。楽器の音色を楽しむならばTubeモードの方が良いかもしれませんが、アンサンブルやバンドサウンドなどの合奏曲を楽しむときにはハイブリッドがおすすめです。
イヤフォン
SP3000のときにはマルチBAのハイエンドイヤフォンが最も合うように思いましたが、SP3000Tでは真空管が入っていることもありダイナミックドライバーが搭載されているイヤフォンが良いように思います。しかしながらSP3000同等の音性能があるので、ハイブリッドタイプが良いと思います。
まずハイエンドではPathfinderです。高精細かつ迫力があり、滑らかな音空間に圧倒されます。また求めやすい価格帯だとProject Mがいいですね。TubeモードでのCurrentの違いもはっきりわかるような性能も十分にありながら音の美しさがTubeモードで引き立ちます。
シングルダイナミックではやはり高性能があった方が良いので、やはりPerpetuaですね。高精細さとダイナミックドライバーの暖かみがとても美しくマッチし美音を奏でます。音空間の広大さもあいまって壮大で美しい音世界を堪能できます。PerpetuaでTUBEモードを聴くと、SP3000Tの音は真空管の温かみがしっかりと感じられると同時に、低ノイズを極めた最近のAstell & Kernサウンドが見事に融合していることがわかります。聴きやすく、かつ高精細な音世界です。
SP3000TとFathom
特にPerpetuaとPathfinderでは圧倒されるような音楽が楽しめます。
マルチBAでおすすめはCampfire Audioの最新作Fathomです。FathomはCampfire Audioの志向するシンプルイズベストの究極の形の一つで、低ノイズのSP3000との相性がよくSP3000Tともあいます。SP3000Tでは、そのピュアで透明でいて滑らかで温もりを感じられるな音世界に惹かれると思います。
まとめ
端的に書くとモニター的に使いたい時はSP3000、リスニング寄りで使いたい時はSP3000Tと結論づけることも可能です。しかしSP3000Tは単なるSP3000の真空管バージョンかというとそうではない点もあります。それはDACの使い方の違いや筐体材質の違いもありますが、もっとA&Kの開発戦略の変化としての意味も含んでいると思います。つまりSP3000からSP3000Tのこの間のA&Kの変化です。
Astell & KernはSP3000に至る前には低ノイズ化を一貫したテーマとして取り組んでいましたが、SP3000でその一つの到達点に辿り着くと、次はSE300でのディスクリートR2R搭載やPA10でのA級アンプの試行などアナログの音という一貫したテーマに取り組んできました。
アナログの音というと懐古的で甘い音をイメージするかもしれません。しかしアナログの音は実は高性能なんです。以前オーディオフェアで試聴室に行く前に部屋から漏れてくる音が極めて引き締まっていたのですごいDACを使ってるんだと思ったら、中に入ってみたらLINNのLP12だったということがあります。実のところ高性能のLINN LP12で聴くLPレコードの音はジッターもないので極めて高音質でした。デジタルとアナログの両方とも良い音は出せますが、その違いはアナログの方がより物量を投入する必要があるということです。
Astell & Kernの目指すアナログサウンドは単にノスタルジックな音ではなく、同じくAstell & Kernの目指している低ノイズ志向ともあいまって、現代的な高音質を目指したアナログサウンドだと思います。ただし現代でのソースはデジタル音源だから、それなりの工夫が必要です。それを志向しているのが最近のAstell & Kernの音ではないとか思います。
そうしたアナログサウンドへの取り組みの成果を取り入れてSP3000と融合させたのが、SP3000Tになると思います。つまりSP3000Tは単なるSP3000Tの真空管バージョンというよりも、SP3000からのA&Kの進化を取り入れたものです。SP3000TではSE300やPA10の音をさらに昇華させたようなサウンドも感じられます。低ノイズ化とアナログの音という二つのテーマを取り込んで、また一つの到達点に辿り着いたのがSP3000Tと言えるでしょう。
そしてAstell & Kernは次にどういうテーマに取り組んでいくのか、SP3000Tを聴きながらふとそうした考えに思いを巡らせます。
2024年06月08日
PhilewebにNoble「Apollo」と「Fokus」インタビュー記事を執筆
PhilewebにNoble「Apollo」と「Fokus」インタビュー記事を執筆しました。
https://www.phileweb.com/interview/article/202405/11/981.html
https://www.phileweb.com/interview/article/202405/11/981.html
アスキーにJBLによる2つの新提案「LIVE BEAM 3」と「Fit Checker」発表会の記事を執筆
アスキーにJBLによる2つの新提案「LIVE BEAM 3」と「Fit Checker」発表会の記事を執筆しました。
https://ascii.jp/elem/000/004/201/4201883/
https://ascii.jp/elem/000/004/201/4201883/