来日していたWestoneの音作りのキーパーソンである"ゴッドファーザー"カールと"テーラー"クリスのカートライト兄弟のインタビューを12月17日に行いました。
左: カール・カートライト 右:クリス・カートライト
はじめは一時間の予定でWestoneの歴史的なところと、W30やW80など新製品の話題など一通り質問するシナリオを用意していったんですが、はじめの歴史のところで私がとても興味ありそうにしていると見抜くや、イヤモニの黎明期の話だけで一時間半も話があり、たっぷりとこの時期の話を聞くことができました。
W80などの話はまたあとで時間を作ったりトークセッションでカバーしたりしたのですが、このイヤモニの黎明期の話がとても興味深く、なぜいまのイヤモニの標準的な形がカスタムシェル+BAドライバーの形式になったのか、そこにWestoneがどう関わっていったのかがよく分かったのでここを中心に本稿では書いていきます。
1. カートライト兄弟
まずカールとクリスのカートライト兄弟は双子でカールの方が11分だけお兄さんなのだそうです。この二人は1979年からWestoneで働いています。Westoneでは補聴器用のカスタムイヤピースを作るところから仕事を始めています。いまでは音楽分野だけではなく、通信(軍事・パイロット向け)関係にも携わっています。(ちなみにWestoneは1959年から聴覚関連の仕事をしている老舗メーカーです)
Westoneでの役割はカールが音決めでクリスが筺体設計と言われますが、実際はそうはっきり決まったものではなく、ひとつのチームとして一体で設計しているというほうが正しいようです。その関係はとても緊密なものです。カールがこういう音にしたいのでこういうプロトタイプ(線がはみ出していたり汚い)を作った、というとクリスはそれを受けてもっと筐体にドライバーを上手に詰めて現実的なものにしたり、その音をより上手に引き出すというようなことをします。実際に話を聴いていても話をリードしていくのはカールですが、クリスがそれを受けてフォローして器用に絵を描いて説明する、という具合にこの役割がよくわかります。
カール・カートライト
ふたりは子供のころからオーディオや音楽が好きで、ミュージシャンとしてもカールがベースでクリスがドラムを担当していたということで、カールは(ベースミュージシャンの多くがそうであるように)エンジニアもしていたということ。子供のころはみなのように部屋を共有していたのですが、オーディオ(ステレオ)も二人で一つだったが、メインで音を聴いていたのはカールで、その本体に絵をかいたりしてたのはクリスということ。
実際Westoneでもカールとクリスはやはり兄弟で競争心もあるので、どちらが何個カスタムイヤピースを作るかという競争をしたりしたそう。数えるのは25万個まで数えてやめたそうですが、これによってイヤピースの作り方にはかなり経験を積んだそうです。
2. カスタムイヤチップからクローズシェルへ
まずオーディオ界に起こった画期的な出来事はWalkmanの登場です。これでいままで肩にラジカセ担いでいたようなものが大きく変わりポータブルの時代となった。(Walkmanの登場は1979ですが、おそらくアメリカに入ったのはちょっとあと)
当時アメリカではエクササイズがはやっていて、イヤフォンが耳からずれるのが問題だったとのこと(Ollivia Newton Johnの“Let's Get Physical”を例に出してました)。これを解決するためにイヤフォンにはめるカスタムのイヤーチップを製作しました(1985)。
これは今で言うとWestone UM56のようなものです。これはペア$ 40〜50(当時)ということで、実際に補聴器屋さんを通して一般に販売したということ。これがWestoneの初めての音楽用の製品だそうです(ミュージシャンともつながりはなかった)。
クリス・カートライトとWalkman用イヤチップの絵
いままでWestoneは(補聴器メーカーなので)ベージュのものしかイヤーチップはなかったが、これはネオンタイプのカラフルなものも作ったそうです(これは補聴器業界としては画期的なことだったそう)。
このイヤピースはエクササイズのために始めたのですが、それが今度はスイミングでも使えないかということになり、そのために防水のため全体を覆う完全クローズのシェルになっていったということです。これがいまのクローズシェルを備えたカスタムIEMのはじまりと言えそうですが、当時はスイミングイヤピースと呼んでいたそうです(多少販売したそうです)。しかし中のドライバーはまだWalkmanの標準のダイナミックドライバーを使っていて音は良くなかったそう。
次に登場するのが缶詰工場です。あるとき缶詰工場の生産ラインの監督から相談があったそうです。缶詰工場はうるさいのでモトローラ製の通信機を指示に使うのだそうですが、これはダイナミックで音質は良くなかったそうです。しかし実際に完全クローズで作るとダイナミックでは(ベントがなく密閉されていると)低音が落ちて聞きにくくなってしまいます。
そこでスイミングイヤピースと補聴器の経験が使えるのではないかと考えたそうです。つまり補聴器のバランスドアーマチュアドライバーと、スイミングイヤピースのクローズシェルを組み合わせれば(ダイナミックには必要な)ベント穴も不要で完全クローズのモニターが作れるのではないかということです。
この辺でカスタムシェル+BAという図式が定まってきます。ただしまだ音楽用途ではありません。
3. ステージ用のカスタムイヤモニへの進化
そうしていくうちにビルクライスラーという音楽プロデューサーから相談がありました。彼はデフ・レパードとラッシュを手掛けていたんですが、デフレバードではフロアモニターの音をヴォーカルが自分の声が聞こえなくなっていたという問題がありました。それを解決するためにそのころすでにイヤーモニターを使っていたけれども、それは開放型のようなものだった。それを解決するためにBAを応用したクローズシェルのモニターをBAメーカーと共同で開発して、音楽特性にも向いたモニターを開発していったということです。(1990)
ラッシュはまた別の「遅延」の問題があったと言います。なにかというと、バンドもレッドツェッペリンなどの時代はステージが狭かったが、20年もたつとステージがとても広くなっていったということです。こうなるとたとえばドラマーがワン・ツー・スリーとカウントしても聴いているほうで遅延があるということ。このとき、足元にモニターがあればよいけれども、ミュージシャンは動くのでミリセカンド単位では遅延が起こるということ。
これはラッシュのように複雑・テクニカルなバンドではかなり問題となるそうです。それを解決するためにやはりこのクローズシェルとBAの組み合わせのイヤーモニターを応用したということです。
クリスの書いたステージの絵
しかしながら当時(1991年ころ)はこうしたイヤモニとレシーバーはとても高価で一人一人が持つとは考えにくく、市場が大きいとは思えなかったそう。カートライト兄弟も自分でも使うような趣味の延長としてとらえていて、Westoneが取り組むような市場があるとは思ってなかったとのことてです。
4. UE by Westoneの誕生
そのうちリーボディシステムというところから電話がありました(1995)。そこはVan Halenのツアーにモニター機材の貸し出しを行う会社でした。ツアーでVan Halenがイヤモニをよく飛ばしてしまうという(壊してしまう)という問題があり、そちらでDef LeppardやRushで使った解決策が使えないかということをワールドツアー前にエンジニアから電話していいかということでした。
そのエンジニアこそがJerry Harveyでした。そこでJerryとすぐに意気投合したそうです。
調べてみるとリーボディはガーウッドという会社のダイナミックドライバーのイヤモニ(と無線レシーバー)を使っていたんですが、それはダイナミックドライバーを使っていたためベントホールがあったそうです。そうするとベントから騒音が入ってきて音が聴き取りにくくなり、音量を上げて結果としてドライバーを飛ばしてしまうということが続いたそう。
これに対してWestone(カートライト兄弟)は二つの提案をし、ひとつはフェイスプレートを外せる方式にしてドライバーの交換を容易にするという方法、もう一つは根本的にドライバーをバランスド・アーマチュアにするという方法です。結局BAの導入によって飛ばすことがなくなりこのクローズシェルとBAの方式が成功したということ。
これ以降ジェリーハービーとカートライト兄弟が意気投合して友人となったということです。
これでクローズシェルとBAのイヤモニがビジネスになるということが分かり、ジェリーの提案で「Ultimate Ears by Westone」という会社をジェリーハービーとWestoneで共同で立ち上げたということです。ジェリーはミュージシャンとのつながりが強く、Westoneは資金力と技術があったのでこの関係はうまくいったということ。UEの初期製品であるUE1,2,3,5をこの枠組みで作っていったということです。
5. マルチドライバーへ
そのうちカールがジェリーと電話でブレインストーミングをした際にPAシステムのようなスピーカーみたいにイヤモニもマルチドライバーで作れるのではないかという思い付きをしたそうです。これはなにか問題を解決すると言うよりもスピーカーで出来ることはイヤモニでもできるのではないかという発想だったそう。ただし補聴器の世界では難聴には低域が聞こえない人や高域が聞こえない人などさまざまで、それに対しての解決策があるということもまた知っていたということです。それを発展させて作っていったということ。
ジェリーはこのとき低音域をダイナミック、高音域をBAというハイブリッドの提案をし、カールは高域も低域もBAを使うという提案をしたそう。カールとクリスで試作をしてみて結果として2BAタイプの方がよく、これがUE5となったようです。
6. Shureとの関係
Shureがジェリーにコンタクトをしてきて、ShureのPSM600というイヤモニの無線レシーバーの評価をしてもらったということ。Shureはダイナミックドライバーを使おうとしていましたが、WestoneがSHUREにステージでの使用はBAのほうが利点があると説明し、カールとクリスは二つのプロトを設計したということです。ひとつはShureから要求がありダイナミックバージョンと、もう一つはBAタイプです。後者が採用されてShure E1となります(1997)。
Westone UM1(旧タイプ)、Shure E1と見た目はほとんど同じだがロゴとカラーが異なる
このE1はNAMMに間に合わせるために時間がなく、ちょっと雑な外観となってしまったと述懐していました。これには2つの重要な点があります。ひとつは傾いた先端のチップ・ステムの部分です。これは耳にはまりやすい初の傾いたステムを持ったイヤモニだそう。もうひとつはこれによって、ケーブルを耳の後ろにかけられるようになったということです。そう、いまShureがけと言われる方式ですが、実際はカール&クリスがけと言うべきではというと笑ってました。販売したのはShureだけれども、作ったのはWestoneというわけです。
その後にデュアルドライバーのE5もカールとクリスが手掛けたそうです。ですのでShureもUEも初期のモデルはカールとクリスがJerryとのコラボレーションして設計していました。UEの製品(カスタムイヤモニ)とShureの製品(ユニバーサルフィット)は両方とも「by Westone」のタグライン(キャッチコピー)で両社から販売されました。
6. その後
その後はビジネスのことでもあり互いに距離を置いて、Westone、ジェリー(UE)、Shureとも独自の道・開発を行くようになります。
そして他のメーカーに供給していたWestoneも自分でブランドを持つようになり、これからが好きなようにやれて面白いんだとクリスが言っていたんですが、インタビューはさすがに時間が無くなりここまでとなりました。
右がWestone 3、左は10年後のWestone 30
ここからは我々の時代につながります。やがてShureがE5、UE(ジェリー)がTriple.fi 10 pro、そしてWestoneが初の3wayのWestone 3を出すというビッグ3の戦国時代となっていき、日本ではMusic To Goなるブログがそれらに刺激されて記事を書き、そしていまのイヤフォン全盛時代となっていきます。
この流れはテックウインドのホームページに年表にまとめて掲載されています。
とても興味深い話で面白いインタビューとなりました。Westoneのトークセッションに出ていた人も分かったと思いますが、とにかく話し出すと止まらない感じで、まずカールに聴くと話し出すと止まらず、クリスもあれはこうだったと乗ってきて絵を描きだして、ひとつの話題でどんどん膨らみだします。
Westoneは軍事関係にも携わる大きい会社だけあって硬いイメージでしたが、この二人と接するととても人間味があって面白い印象に変わると思います。ジェリーハービーがJH Audioの顔であり、モールトンがNobleの顔であるように、このカートライト兄弟もまたWestoneの顔となると思います。
インタビューのはじめにこれは聞きたいと思っていたのは、どうやったらWestoneではW60やW80のコンパクトなボディにあの6個も8個ものドライバーを詰めてかつハイエンドの音を達成できるのかということでした。これは結局聴かなかったんですが、時間がなかったというよりも、インタビューを聴いているうちにこのことは聞かなくてもよいと思えてきたからです。
この二人の仲良く緊密な連携、そしてこの長い経験があればこそ、この一見無理に見えることが可能になったのでしょう。
Westoneの音の良さの秘密というのはカールとクリスのカートライト兄弟によるもので、それゆえここが他社にはないWestoneの強みなのだと実感しました。