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2015年04月16日

ショパン・プロジェクト - アリス=紗良・オット/オラフ・アルナルズ

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アリス=紗良・オットとオラフ・アルナルズという組み合わせで「おっ」と言う人がどれだけいるかわかりませんが、とにかく私はタワレコ店頭で見かけて「おっ」と言ったのでそのまま購入しました。ピアニストのアリス=紗良・オットはご存知の方が多いと思いますが、オラフ・アルナルズはエレクトロニカ・現代音楽系の人で最近日本でも人気です。私はどちらのアーティストも好きでそれぞれアルバムも持っています。ただ別々のジャンルの人だと思っていました。ショパン・プロジェクトはショパンの作品をこの二人が再解釈するというものです。

この組み合わせでひとつ思い出したのは、「クラシックの有名演奏家 + エレクトロニカ・現代音楽家」という組み合わせは前にも書いたということです。それは前に書いた記事のハウシュカとヒラリーハーンの"Silfra"です。
ちなみにアリス=紗良・オットはFransisco Tristanoとコラボしてやはりクラシック再解釈アルバム"Scandal"を出してます。クラシック作品にしてはポップなアルバムジャケットアートが面白いんですが、これも中身は良いです。こうしたコラボを好む人でもありますね。

ショパン・プロジェクトは音楽的にはこれも前に書いたやはりエレクトロニカ・現代音楽家であるマックス・リヒターの四季(邦題は"25%のビバルディ")のように、クラシックの有名作品を現代エレクトロニカ音楽家が再構築をするというものです。ただし手法は異なっています。
マックス・リヒターがサンプリングとかループと言った、わりと今風のDTM手法をクラシックの曲に適用したのとはある意味逆で、オラフ・アルナルズの目指すところは「作品における人間臭さ、ヒューマニティの復権」です。別な言い方をすると聴いている人間に近いという感じでしょうか。詳しくは下記リンクの海外ウェブマガジンにインタビューが載っています。
http://nbhap.com/interviews/olafur-arnalds-alice-sara-ott-chopin-project/
クラシックの録音は普通はとてもきれいで、ある意味で潔癖症です。正確に演奏し、余分なノイズを排除して行いますが、そこにもっと演奏者の息使いや椅子のきしみなど環境音を入れることで人の存在を感じられるものとしたいというのが二人の共通意見です。アリスはタワレコのショパン大使になったこともあり普通のショパンのアルバムも出していますが、彼女の好きな昔のショパン弾きは実のところ誤った音をたくさん弾いているけど、昔の録音だとそれが悪くなくむしろ人間的に思える、しかし今日の潔癖症録音でそれをやってしまうと粗が目立つだけのアルバムに仕上がってしまうという点に不満を寄せています。

そこで「ショパン・プロジェクト」では録音にはビンテージマイクとアナログ機材を使い、録音方法も演奏者の息遣いを意図的に入れるように工夫しているということです。またピアノはプリペアドにして音色を調整しています。ピアノはこのプロジェクトのためにプリペアドピアノとして「改造」されたようです。たぶんちょっとモノを挟めた程度ではないんでしょう。コンサートというかライブで披露したときはステージのピアノを20分かけてプリペアドにしたということです。それだけ音色にはこだわっています。
これにアルナルズの電子音およぴストリングスのパートと、アリスの弾くショパンの曲が交互に展開していきます。アルナルズのパートはショパンのメロディをアレンジしたもので、After Chopin(ショパンにならい、みたいな感じ)と英語版ではタイトルについています。ピアノパートにもフィールド録音した水音や会話のサンプリングなどを少し混ぜています。
ショパン自身は即興的な傾向の人で、同じ曲で出版社に渡した楽譜が異なるというのもよくあるそう。その辺もショパンを選んだ理由のひとつだそうです。彼女らはおそらく決まり切ったものを正確にこなすというところに、非人間性のような問題意識をもっているのでしょう。

こちらにプロモーションビデオがあります。



実際に聴いてみると、ピアノの音は普通に良録音で聴くようなエッジが立って硬質感があるような音ではなく、霧の中に響くようなぼやけた不明瞭な音で響いています。録音機材だけではなくプリペアドピアノの音色変更の効果もあると思います。
たしかに背景にアリスの声にも思えるハミングのような音がするけど、グールドのような明瞭な鼻歌ではなく、それももしかすると電子音のノイズや水の音のサンプリングと区別がともすればつきにくく感じられます。彼女の弾くショパンもピアノであることの主張を控え、アルナルズのストリングや電子音と混じっていき渾然一体となっていきます。それらは電子音なのか生楽器なのかあいまいになり、そうしたことはどうでも良いのではないかと思えるようになります。

録音を工夫してギシギシ言う環境音を言わばアコースティックなグリッチ的にわざとピアノ曲に絡めるのは、ポストクラシカルとも呼ばれるこの辺の音楽家の最近の常套手段だと思いますが、オラフ・アルナルズはそれをもっと別な角度から行いたかったのではないか、ともちょっと思います。
また、ピアニストのハミングなど交えたという点からは上にも書いたようにグールドを連想しますが、実際に彼らもそれを意識しているようです。とはいえ、グールドが観客との交わりであるコンサートを避けてあえて録音のみを志向していったのは彼なりの音楽追求なわけですが、このアルナルズやアリスの方向性はそれと逆なのか、あるいは実は同じなのか、とあれこれと考えてみるのも音楽の楽しみのひとつではありますね。

もうひとつ面白いのはこの実験的な感じのアルバムがマーキュリーというメジャーレーベルで出ているということで、インタビューの中でもインディーレーベルならこういうのは出しやすいが、メジャーでこうしたアルバムがリリースされるというのは業界が変わりつつあるということではないかと書かれています。
国内ではCDの他にe-Onkyoからハイレゾ配信されています。私は両方買いましたが、意図的に古い機材で録音しているのにその良さを引き出すのにハイレゾで聴くというのもまた面白いところではないでしょうか。

e-onkyoサイト
http://www.e-onkyo.com/music/album/uml00028948115044/
posted by ささき at 00:49 | TrackBack(0) | ○ 音楽 : アルバム随想録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする